思やー小
うむやーぐゎー
’umuyaa gwaa
◯愛しい人
語句・うむやー愛しい人。うむゆん。思う。動詞の語尾を伸ばすことで人格化することがある。(例)「あっちゃー」歩く人。「海あっちゃー」は、漁師の意味。・ぐゎー①小さいことを表す。②子供の名前について愛称になる。③少量であることを表す。④軽蔑の意味を表す。⑤分家の意味。(沖縄語辞典の要約)ここでは②の、子供の名前ではないが、身近な人を呼ぶ場合の「さん」くらいの愛称的な使われ方。
作詞 作曲 滝原康盛
唄 上原正吉
一、肝やあらなそてぃ 思まんふりすゆみ 朝夕胸やちゅる 我身ぬ心ゆ知りなぎな
(情きあてぃ かなし我ん思やー小)
ちむやあらなそてぃ うまんふりすゆみ あさゆうんにやちゅる わみぬくくるしりなぎな (なさきあてぃ かなし わん うむやーぐゎ)
chimu ya ’aranasoti ’umaNhuri suyumi ’asayu Nni yachuru wami nu kukuru shirinagina (nasaki ’ati kanashi waN ’umuyaa gwaa)
*括弧内は囃子。以下省略。
◯心になくて思っているふりできるかしら?毎日胸を焦がしている私の心を知りながら(情けがあってほしい 愛しい私の愛しい人)
語句・すゆみ できるか?・あさゆ <あさゆー。 一日中。毎日。・なぎな ながら。・かなし 愛しい。「悲しい」ではない。
二、行遭てぃ思事ん 語らていさしが 打ち開きんならん 我身ぬ心ぬ意地りなさ
いちゃてぃ うむくとぅん かたらていさしが うちあきんならん わみぬくくるぬ いじりなさ
’ichati ’umukutuN katarateei sashiga ’uchi’akiN naraN wami nu kukuru nu ijirinasa
◯会って思いを語りたいのだけど打ち明けることができない私の心のいくじなさよ
語句・てい ので。
三、思忘らやしが 面影や勝てぃ 肝ん肝ならん 我身ぬ心ぬ切りなさや
うみわしらやしが うむかじやまさてぃ ちむんちむならん わみぬくくるぬ ちりなさや
’umuwashira yashiga ’umukaji ya masati chimuN chimu naraN wami nu kukuru nu chirinasa ya
◯思いをわすれたいけれどあの人の面影が強くて気が気でない 私の心はあきらめきれないよ
語句・ちむんちむならん 動揺している様。気になってしょうがない様。よく琉歌では使われる。・ちりなさや 諦められない。←切ることができない。
四、誠肝あらば しんじんとぅ我身に 一言葉ぬ情き かきてぃとらせえよー思やー小
まくとぅちむあらば しんじんとぅわみに ちゅくとぅばぬなさき かきてぃとぅらせーよーうむやーぐゎー
Makutu chimu ’araba shiNjiNtu wami in chimu tuba nu nasaki kakiti turasee yoo ’umuyaagwaa
◯私を思う心があるなら 私に一言の情けをかけてくださいねえ 愛しい人よ
語句・しんじんとぅ 「しとやかにしているさま。静粛に控えているさま。しみじみじとの転意か」沖縄語辞典。・とぅらせー ください。<とぅらしゅん。「(命令形で)(…して)おくれ。kwireeよりも丁寧となる」(沖縄語辞典)
参考「正調琉球民謡 滝原康盛 作詞作曲集」
愛しい人への言えないけれど強い思いを綴った新民謡。
1971年に作詞作曲とある。
上原正吉さんの女性的な澄んだ歌声がよくマッチしている人気曲のひとつ。
下にYouTubeを貼り付けてあります。
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思やー小
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浜のアーマン小
浜のアーマン小
はまぬ あーまんぐゎー
hama nu 'aamaN gwaa
〇浜のヤドカリちゃん
語句・あーまん やどかり。 <あまん(ぐゎー)。「あーまん」「あまん」どちらも使うようだ。オオヤドカリは「あんまく」(腕白小僧の意味)とも言う。
作詞 作曲 滝原康盛
歌 山内 まさのり
一、浜ぬアーマン小や家担みてぃ杖突ちょうてぃ傾ち走い 干瀬ぬ蟹小やうり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦りむん 家小担みてぃ歩ちゅんど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ干瀬ぬ蟹小や窮子者家小ん無えらん穴籠い
はまぬあーまんぐゎーややーかたみてぃぐーさんちちょーてぃかたんちばい ひしぬがにぐゎーやうりんーちょーてぃあわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーかたみてぃ あっちゅんどー はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ ひしぬがにぐゎーやくーしーむん やーぐんねーらん あなぐまい
hama nu 'aamaNguwaa ya yaa katamiti guusaN chichooti kataNchibai hwishi nu ganigwaa ya 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN yaagwaa katamiti 'acchuN doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti hwishi nu ganigwaa ya kuushiimuN yaagwaaN neeraN 'anagumai
〇浜のヤドカリちゃんは家を担いで杖ついてチョコチョコ歩く 干瀬の蟹ちゃんはそれを見ていて 可哀そうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 家を担いで歩いているぞ 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて干瀬の蟹ちゃんは貧乏者 家もなくて穴籠もり
語句・かたみてぃ かついで。<かたみゆん 担ぐ。かつぐ。・ぐーさん 杖(つえ)。中国語から。「中国音guaizhang」【琉球語辞典】」。ぐーさん ちちゅん。つえをつく。・かたんちばい 「こそこそ急いであるくこと」【琉辞】。・ふぃし 「干潮時にあらわれる洲」【琉辞】 ・ちむぐりむん 気の毒な人 奴。<ちむぐりしゃん 気の毒である。不憫である。 ・んちょーてぃ 見ていて。<んーじゅん。見る。・くーしいむん「貧乏者」【琉辞】。・ぐまい <くまゆん 籠もる。
二、浜ぬアーマン小やなんとぅ急ぢん蹴掻き転び鈍なし者 ムドゥルぬトントンミー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小や肝苦り者 足や有とうてぃ急がらに 浜ぬアーマン小や うり聞ちょうてぃトントンモーサー トントンミー 落着ち無えらんうふそう者
はまぬあーまんぐゎーや なんとぅいすじん きっちゃきくるび どぅんなしむん むどぅ(る)るぬとんとんみーぐゎー うりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん ひさやあとーてぃいすがらに はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ とんとんもーさーとんとんみー うとぅちちねーらん うふそーむん
hama nu 'aamaNgwaa naNtu isujiN kicchaki kurubi duNnashimuN mud(r)uru nu toNtoNmiigwaa 'uri chichooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurimuN hwisa ya 'atooti 'isugarani hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti toNtoNmoosaa toNtoNmii utuchichi neeraN 'uhusoomuN
〇浜のヤドカリちゃんはどんなに急いでもつまづくのろい奴 逆らうトビハゼちゃんはそれを見ていてかわいそうなヤドカリちゃんは気の毒な奴 足はあっても急がれない 浜のヤドカリちゃんそれ聞いて トントン踊りのトビハゼちゃん 落ち着きもないそそっかしい奴
語句・なんとぅ どんなに。なんと。・きっちゃき 「躓[つまずき]き;失敗」【琉辞】。・どぅんなし <どぅんなさん 「《形》のろい、にぶい、鈍感である」【琉辞】。・むどぅる <むどぅちゅん 背く 逆らう。 【琉辞】。・トントンミー とびはぜ。・もーさー <もーゆん。踊る人。 (例)はるさー。 畑を耕す人。・うとぅちち <うてぃちちゅん 落ち着く。・うふそーむん 「そそっかしい人、間抜け」【琉辞】。
三、浜ぬアーマン小やふどぅいいねえ大さる家に家移ちすん 海ぬチンボラー小うり見ちょうてぃ哀りアーマン小肝苦り者 家小や有とうてぃ借屋ど 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ海ぬチンボラー小儲きてぃん生ちちょる間家一ち
はまぬあーまんぐゎーやふどぅいーねー うふさるやーにやーうちすん うみぬちんぼらーぐゎーうりんーちょーてぃ あわりあーまんぐゎーやちむぐりむん やーぐゎーやあとーてぃ かいやーどー はまぬあーまんぐゎーや うりちちょーてぃ うみぬちんぼらーぐゎーやもーきてぃん いちちょーるゑだやーてぃーち
hama nu 'aamaNgwaa ya hudu 'ii nee uhusaru yaa ni yaa 'uchisuN 'umi nu chiNboraagwaa 'uri nnchooti 'awari 'aamaNgwaa ya chimugurumun yaagwaa ya 'atooti kaiyaa doo hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti 'umi nu chiNbooraagwaa mookitiN 'ichichooru yeda yaa tiichi
〇浜のヤドカリちゃんは背丈に合った大きな家に引越しする 海の巻き貝ちゃんそれ見て 可哀そうなヤドカリちゃん可哀そうな奴 家はあるけど借家だね 浜のヤドカリちゃんはそれ聞いて海の巻き貝ちゃん儲けても生きている間家一つ
語句・ふどぅ 「背丈、身長」【琉辞】。・いいねー 良く似合う。ちょうどいい。<いい 良い。+ねー 似合う。・ちんぼらー 「(ほら貝形の)小さな巻き貝〔‘にし’の一種〕」【琉辞】。「海ぬちんぼらー」を参照。
四、浜ぬアーマン小やぢんぶん持ち 好かんしが来いねえ家籠い 潟ぬアジケー小うり見ちょうてぃアンマクアーマン小や肝苦り者 ちむえや無んそてぃ胴しかみ 浜ぬアーマン小やうり聞ちょうてぃ 潟ぬアジケー小 あん云ゅんな 汝や歩ちぇー しいをぅーすみ
はまぬあーまんぐゎーやじんぶんむち しかんしがちーねーやーぐまい がたぬあじけーぐゎーうりんちょーてぃ あんまくあーまんぐゎーやちむぐりむん ちむえやねーんそてぃどぅーしかみ はまぬあーまんぐゎーやうりちちょーてぃ がたぬあじけーぐゎー あんいゅんな やーやあっちぇー しーをーすみ
hama nu 'aamaNgwaa ya jiNbuNmuchi shikaNshi ga chiinee yaa gumai gata nu 'ajikeegwaa 'uri nnchooti 'aNmaku 'aamaNgwaa ya chimugurimuN chimuee ya neeNsoti du chikami hama nu 'aamaNgwaa ya 'uri chichooti gata nu 'ajikeegwaa 'aN'iyuN naa 'yaa ya 'acchee shiiwuu sumi
〇浜のヤドカリちゃんは知恵がある 嫌いなものが来たら家に籠もる 干潟のしゃこ貝それを見て わんぱくヤドカリちゃんは可哀そうな奴 知恵がないから怖がってる 浜のヤドカリちゃん それ聞いて 干潟のしゃこ貝ちゃん、そういうのかい、お前は歩くことはできないだろう?
語句・じんぶん 「知恵、才能」【琉辞】。・あじけー シャコガイ。しゃこ貝。・あんまく わんぱく。オオヤドカリのことも言う。・ちむえ <ちむい+や 融合して ちむえー。「見積もり、心積もりをする」【琉辞】・どぅー 自分で。・しかみ <しかぬん しかむん。 「怖じける、臆病になる」【琉辞】。・しーをーすみ <しー しゅん する。+ をー うん 居る。+ すみ するか?
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昔染みなし節
昔染みなし節
んかし すみなしぶし
Nkashi suminashi bushi
◯昔心染めなす唄
語句・すみなし <すみゆん; 染める。+ なすん。 なしゅん; なす。 心を染める。林昌さんは六番で「しみてぃ」と歌っているので「んかししみなしぶし」と読むのかもしれない。
一、真夜中どぅやしが夢にうくさりてぃ 覚みてぃ恋しさや ありが姿 ヨーワンネ
まゆなかどぅやしが いみにうくさりてぃ さみてぃくいしさや ありがしがた よーわんね
mayunaka du yashiga 'imi ni 'ukusariti samiti kuishisa ya 'ari ga shigata yoo waNnee
◯真夜中なのであるが夢に起こされて 目覚めても恋しいのはあの人の姿 ねえ 私は
語句・あり あの人。「ama(あの方)、anuQcu(あの人)よりはぞんざいな形」【沖縄語辞典】。・わんねー 私は。 ちなみに「わん」(私)は後ろに付く語によって形がかわる。「わーが」(私が)。「わんねー」(私は)。「わんにん」(私も)。「わー」(私も)。
二、忘らていとぅむてぃ まくらとぅいかわち 二度とぅ うくさりる夢ぬ辛さヨーワンネ
わしらていとぅむてぃ まくらとぅいかわち にどとぅんうくさりるいみぬちらさ よーわんね
washiratei tumuti Makura tuikawachi nidutu 'ukusariru 'imi nu chirasa waNnee
〇忘れようと思って 枕を取り換えて 再び起こされる夢の辛さよねえ 私は
語句・てい と。 とぅむてぃと思って。
三、朝夕うみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ 胸ぬうむいはりら ヨーワンネ
あさゆうみちみてぃ やしはてぃるびけい うちあきてぃ んにぬうむいはりら よーわんね
'asayu 'umichimiti yashihatirubikei 'uchi'akiti Nni nu 'umui harira waNnee
〇一日中思い詰めて 痩せ果てるばかり 打ち明けて胸の思い晴らせたい ねえ 私は
語句・あさゆ 一日中。「朝と夕方」ではない。・びけい ばかり。くらいの。程の。・はりら <はりゆん;晴れる。 の未然形。自分の意思や、仲間への呼びかけを意味する。
四、梅桜でんし節来りば咲ちゅい 節ゆまちみそり 咲ちどぅさびるよーニーサン
んみさくらでんし しちくりばさちゅい しちゆまちみそり さちどぅさびる よーにーさん
'Nmi sakura deNshi shichi kuruba sacyui shichi yu machimisori sachi du sabiru yoo niisaN
〇梅桜でさえ季節が来れば花が咲くもの 時期をお待ちください 花が必ず咲きます ねえ兄さん
語句・でんし でさえ。・しち 季節。時期。「節」(せつ)に対応。・みそり <みそーり。 敬語の命令形。<みせーん;お…になる。 (たとえば、目を「みー」と発音するが、表記では「み」と書くことがある。このように歌の中では、長母音〔伸ばす母音〕を短く表記し、この場合3文字と数える。こういう表記法を詩的許容(poetic license)と言う。)・さちどぅさびる 必ず咲きます。「どぅ」は強調の助詞で、その後の語尾を連体形にする「係り結びの法則」が働くので、「あびーん」という丁寧の敬語が「「あびる」になる。・にーさん うちなーぐちの辞書にはないが、ふつうの「お兄さん」の意味だろう。(ちなみにうちなーぐちで「にーさん」は「遅い」「まずい」の意)。
五、節待ちゅる間や 年や寄い詰みてぃ 寄いちみる年やしらね無蔵や ヨーニーサン
しちまちゅるいぇだや とぅしやゆいちみてぃ ゆいちみるとぅしやしらねんぞや よーにーさん
shichi machuru yeda ya tushi ya yuichimiti yuchimiru tushi ya sirane Nz(y)o ya yoo niisaN
〇時期待つ間に歳を取ってしまって 取ってしまった歳は知らないでしょう 貴女は ねえ兄さん
語句・しらね <しらねー <しゆん;知る。の否定形しらん、の質問形 しらに+や が融合して「しらねー」。 知らないよね、知らないでしょう? ・んぞ 「男が恋する女を親しんでいう語。恋人(女)」【沖縄語辞典】。女性から男性に向けては「里」(さとぅ)。しかし、稀に歌の中では性別に関わらず「恋人」に向かっていう時もある。
六、一人うみちみてぃ んにうちゆ染みてぃ いらなくがりゆる やみぬ蛍 ヨーワンネ
ひちゅいうみちみてぃ んにうちゆしみてぃ いらなくがりゆる やみぬふたる よーわんね
h(w)ichui 'umichimiti Nni'uchi yu simiti 'irana kugariyuru yami nu hutaru yoo waNnee
〇一人思い詰めて 胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
語句 ・いらな いわないで。 <ゆん[言う]の未然形 いら。の否定形
「平成の嘉手苅林昌」に収録。
「染みなし節」は有名だが、こちらの「昔染みなし節」はこのアルバムを開くまで知らなかった。
冒頭の歌詞は「世宝節」でも使われているし、六番はその「染みなし節」の歌詞とよく似ている。
メロディーも、聞きなれた曲にはない。
嘉手苅林昌先生の即興だろうか、そこはわからない。
しかし、いい曲、歌、歌詞である。
さて内容について、いくつか不明なところも多い。
「昔」とついているが「昔の」という意味か、「昔染めた」という意味かわからない。
四番は敬語が使われているから「女性」の気持ちであることはわかる。
そして五番は「無蔵」(んぞ)とあるので「男性」である。
その四番と五番だけに「よー兄さん」とあって、それ以外の「よーわんね」とは違っている。
通常、私は囃子言葉は訳さないで良いと思っている。
それはいくつかの理由があるが、今回はどうも歌詞の内容と関連がありそうなので、訳の中に織り込んでみた。
私の解釈では
女性の想いを寄せる男性が、その思いを抱え夢にまで見、枕も変えたがそれでも夢を見て、やせはてているところに
女性が「いつかは時期がきますよ、お待ちください」と言ったところ、男性は「それでは歳をとってしまうよ」と応えて最後の歌詞になる。
一人思い詰めて胸の中を(あなたで)染めて 言わないで焦がれてる闇の蛍 ねえ私は
この「闇ぬ蛍」を使った琉歌を「琉歌大成」(清水彰) で調べるといくつかでてくる。
その中に
思い身にあらば事のよしあしも言やな焦がゆみ闇の蛍
つらさ身にあまてことのよしあしも言やな焦がれゆみ闇の蛍
この「言やな」を「言らな」と言い換えた歌詞だろう。
youtubeで嘉手苅林昌さんのこの歌が聴ける。
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白骨節
白骨節
しらくちぶし
Shirakuchi bushi
◯白骨の歌
語句・くち 「骨(こつ)。遺骨」【沖縄語辞典】。いわゆる骨(ほね)は「ふに」(例 そーきぶに;あばら骨)。「くち」は遺骨、死んだ人の骨をいう。kuchi<kotsuの三母音化(o→u,e→i)。
歌三線 大城美佐子
一、白骨になやい 白浜ぬ砂とぅぬ共にヨー骨や 晒さりてぃでんし
しらくちになやい しらはまぬしなとぅとぅむに(よー)くちや さらさりてぃでんし
Sirakuchi ni nayai shirahama nu shina tu tumu ni yoo kuchi ya sarasariti deNshi
◯私は白骨になって白浜の砂と一緒に骨はさらされてさえ
語句・でんし 「さえ。すら。だに。」【沖縄語辞典】。
二、惜しむ身やねさみ 互に思みちやい 里とぅヨー手ゆ連りてぃ 海に身ゆ投ぎてぃ
うしむみやねさみ たげにうみちやい さとぅとぅ(よー)てぃゆちりてぃ うみにみゆなぎてぃ
ushimu mii ya nesami tage ni 'umichiyai satu tu yoo tii yu chiriti 'umi ni mii yu nagiti
◯死んでも惜しむ人はないのだ 互いに死を決断して愛する彼と手を取り合って海に身を投げて
語句・うしむ 「惜しい」に対応するウチナーグチは、「あたらしゅん」「いちゃさん」、「惜しむ」は「あったる」。これは大和口(やまとぅぐち、標準語。)。・ねさみ ね<ねーん;ない。+さみ 「…なのだぞ。…なんだよ」【沖縄語辞典】。入らないと ・うみちやい 決断して。<うみちゆん 。「思い切る。あきらめる。」【沖縄語辞典】。
三、放すなよ死出ぬ旅に行くまでぃや 儘どーや一道なてぃ いちゃる云語れや
はなすなよ しでぃぬたびにいくまでぃや ままどーやーちゅみちなてぃ いちゃるいかたれや
Hanasuna yo shidi nu tabi ni 'iku madi ya mama doo yaa chumichi nati 'icharu 'ikatare ya
◯離すなよ手を 死出の旅に行くまでは一緒だよと二人は一心同体になると語った約束は
語句・まま 「一緒。共。」【沖縄語辞典】。・どーやー だよ。ちゅみち 「一つの道。同じ道。同じ方針で進むこと。協力してすること」【沖縄語辞典】。一心同体、とした。・いかたれ「男女の契り。男女の語らい」【沖縄語辞典】。普通の「会話」ではない。男女が将来の約束をすること。
四、固く信じてぃどぅ命ん 捨てぃたしが 里やヨー肝変わてぃ 死ぬる命惜しでぃ
かたくしんじてぃてぃどぅぬちんしてぃたしが さとぅや(よー)ちむかわてぃ しぬるぬちうしでぃ
Kataku shiNjitu du nuchiN shitita shiga satu ya yoo chimu kawati shinuru nuchi ushidi
◯固く信じてたから命も捨てたけど あの人は心変わりして死ぬ命も惜しんで
五、かかりわん放す しがりわん押し放ち 無情にヨー我ん一人荒波ぬ中に捨てぃてぃ行方ねらん
かかりわんはなす しがりわんうしはなち むじょーに(よー)わんひちゅい あらなみぬなかにしてぃてぃゆくいねらん
kakariwaN hanasu shigariwaN 'sushi hanachi mujoo ni yoo waN hichui 'aranami nu naka ni shititi yukui neraN
◯彼を頼っても放す すがっても押し放して 無情にも私一人荒波の中に捨てられて行方知れずになって
語句・かかりわん 頼っても。<かかゆん。たよる。 +わん<ば、仮定。+も。強調。 ・しがりわん すがっても。< しがゆん。「縋る。つかまって、たよりとする」【沖縄語辞典】。すがる。・むじょー 無情。・ゆくい 行方。
音源は「沖縄うらみ節」(大城美佐子)。
沖縄民謡では「心中もの」はめったにない。
「心中」や「自死」は、沖縄の伝統文化・宗教観の中では認められないものがある。
たとえば自死(自殺)者は門中墓(親族が入る墓)にははいることができない。
歌詞は、1番から5番まで繋げて読むと一つの物語として読める。
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糸縁節
糸縁節
いとぅゐんぶし
'itu yiN bushi
〇絃(いと)の縁の歌
語句・ゐん 縁(えん)。発音に注意したい。「ゐ」の発音は50音の中になく、「や行」の「ya yi yu ye yo」の「yi」がこれに相当する。
作詞 与儀 清賢 作曲 大城 志津子
一、(男)三味線ぬ音色 絃合わち鳴ゆさ ヨー 我んや肝合わち 無蔵とぅ鳴らな 染みなさや 思無蔵ヨ
さんしんぬにいる ちるあわちなゆさ よー わんやちむあわち んぞとぅならな すみなさや うみんぞよ
saNshiN nu ni'iru chiru 'awachi nayu sa yoo waN ya chimu 'awachi Nzo yu narana suminasa ya 'umiNzo yoo
〇三線の音色は絃を合わせて(ちんだみして)鳴るもの 私は心を貴方に合わせて鳴らしたい 愛を染めたい 愛しい貴女
語句・さんしん 三線。沖縄では「しゃみしん」「しゃみせん」ということが多い。「さんしん」の語源については「三絃[弦]〔中国音sanxian〕または三線〔中国音sanxian〕【琉球語辞典】。から。・ちる 絃。糸。ちなみに、一弦は男絃(うーじる)、二弦は中絃(なかじる)、三絃は女絃(みーじる)と呼ぶ。・ちるあわち 三線の絃を調弦することを「ちんだみ」というが、これは「絃(ちる)試し(たみし)」から来ているという説もあるが、一方、【琉球語辞典】によると、「ちる」+「たみゆん」(たわめる。矯(たわ)める)かわきているとある。「たわめる」とは「曲げたり、矯正すること」「狙いを定めること」「じっと見る」などの意味がある。・ならな 鳴りたい。なりたい。 「音が鳴る」の「なゆん」と「関係が成立する」という意味の「なる」(なゆん)をかけている。うみんぞ 愛しい貴女。うみ;愛しい。+んぞ;(男性から女性への呼称)貴女、あなた。 Cf,うみさとぅ(愛しい貴方)。
二、(女)三味ぬ音ぬ如に 色深く里前ヨー 何時迄んとぅ思てぃ 染みてぃたぼり 知らすなよやー 二人が仲
しゃみぬうとぅぬぐとぅに いるふかくさとぅめよー いちまでぃんとぅむてぃ すみてぃたぼり しらすなよーやー たいがなか
shami nu 'utu nu gutu ni 'iru hukaku satume yoo 'ichimadhiN tumuti sumithi tabori shirasuna yoo yaa tai ga naka
〇三線の音のように色を深く いつまでもと思って 愛を染めてください 知らさないでよね他人に 二人の仲を
語句・よーやー よー(命令形を柔らかくする「ねえ」)+やー(ねえ)。非常に優しい命令形。「よね」くらい。語句・たい 二人。hutari(ふたり)の「hu」と「R」が抜けたもの。「futa(r)iの頭音節消失」【琉辞】。
三、(男)歌とぅ三味線や 絃頼てぃ結ぶヨー 我んや無蔵頼てぃ 千代に結ば 染みなさやー 思無蔵ヨ
うたとぅさんしんや ちるたゆてぃむしぶ よー わんやんぞたゆてぃ ちゆにむすば すみなさやー うみんぞよ
'uta tu saNshiN ya chiru yu tayuti mushibu yoo waN ya Nzo tayuti chiyu ni musuba suminasa ya 'umiNzo yoo
〇歌と三線は絃をあてにして結ぶ 私は貴方をあてにして いつまでも結びたい 愛を染めたい 愛する貴女
語句・たゆてぃ 頼って。<たゆゆん。 良く唄でつかわれる。
四、(女)絃合わち弾ちゅる三味ぬ音ぬ如にヨー 互に肝合わち 浮世渡ら 知らすなよーやー 二人が仲
ちるあわちひちゅるしゃみぬにぬぐとぅに よー たげにちむあわち うちゆわたら しらすなよーやー たいがなか
chiru 'awachi h(w)ichuru syami nu gutu ni yoo tage ni chimu 'awachi 'uchiyu watara shirasuna yoo yaa tai ga naka
〇調弦(ちんだみ)して弾く三線の音のように 互いに心をあわせ 浮世を渡りたいね 知らさないでね 二人の仲を
五、(男女)三味ぬ糸頼てぃ 結ぶ糸縁ぬヨー 変わる事ねさみ 幾世迄ん 変わんなよーやー 二人が仲
しゃみぬいとぅたゆてぃ むしぶいとぅゐんぬ よー かわるくとぅねさみ いくゆまでぃん かわんなよーやー たいがなか
shami nu 'itu tayuti mushibu 'itu yiN nu yoo kawaru kutu nesami 'ikuyuu madiN kawaNna yoo yaa tai ga naka
〇三線の糸に頼って結び糸の縁が 変わることはないのだ 幾世までも 変わるなよ 二人の仲
語句・ねさみ ないのだ。 ね;「あん」(ある)の対、「ねーん」の語幹。+さみ;であるぞ。「saramiの短縮形」【琉辞】。
沖縄コンビ唄というCDに収録されている唄。
先日、三線、三味線を使った琉歌をしらべたが、歌の中で三線をテーマにした曲もしらべてみたら、これがあった。
歌三線 喜久山 節子 新城 慎一
とても軽妙な早弾きのコンビ唄で、三線の糸、絃を「縦糸」にして、男女の恋愛を「横糸」に唄が作られている。
他にも三線を唄に取り入れた曲をすこし探してみたい。
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月と涙
月と涙
ちちとぅなだ
chichi tu nada
◯月と涙
語句・ちち 月。ウチナーグチの歴史では、「とぅきぃ」→「つぃち」→「ちち」という変化をしてきた(胤森弘氏の研究による)。なだ 涙。「namida」→「mi」が脱落して「nada」になった。もうひとつの言い方「みーなだ」は「みー」(目)の「なだ」(涙)という意味。この歌の題名をどちらで読むかは不明。標準語かもしれない。
歌 小浜守栄
何時ん云語れやヨ 契りていしちょてぃ恨みしや里が変わる心
いちんいかたれやヨ ちぢりていしちょてぃ うらみしや さとぅが かわるくくる
'IchiN 'ikatere ya yoo chijiri tei shichoti 'uramishi ya satu ga kawaru kukuru
◯いつも逢瀬では硬い約束をしたのに 恨めしいわ、貴方の変わる心が
語句・いかたれ <いかたれー。「(恋の)語らい、(男女の)契り」【琉球語辞典(半田一郎)】。「いかたれー」を「云語れ」と当て字にするが、それは「語らい」という意味でしかない。しかし、「かたれー」には「仲間に入ること;男女の一緒になる約束」【琉辞】という意味がある。「味方」の「かた」と同じ意味。・ちじり 「契り、硬い約束、前世からの縁」【琉辞】。
朝夕我が願げやヨ 愛し我が里とぅ比翼鴛鴦ぬ契りさだみ
あさゆわがにげやヨ かなしわがさととぅ ひゆくうしどぅいぬちぢりさだみ
'asayu waga nige ya yoo kanashi waga satu tu hiyukuushidui nu chijiri sadami
◯ 朝も夕も私の願いは 愛しい私の貴方と比翼オシドリのように生涯仲良く暮らす契りという定め
語句・あさゆ 一日中の意味。・ひゆくうしどぅい 「〔雌雄むつまじい〕鴛鴦(おしどり)」【琉辞】。 「比翼」(ひゆく)とは「〔雌雄それぞれ目と翼がひとつづつで〕常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。・さだみ 定め。
夢どぅまたやたみヨ 朝夕我が思い 露とぅ散り果てぃてぃ涙びけい
いみどぅまたやたみヨ あさゆわがうむい ちゆとぅちりはてぃてぃ なみだびけい
'Imi du mata yatami yoo 'asayu waga 'umui chiyu tu chirihatiti namida bikei
◯全くの夢でしかなかったのか 朝夕の私のあなたへの思いは露のように消え果てて私には泣くことしかない
語句・また 「全き、完全な」【琉辞】。再び、という意味もあるが。・びけい ばかり。
一人思み詰めてぃヨ照る月ゆ見りば さやか照る月ん涙に曇てぃ
ひちゅいうみちみてぃヨ てぃるちちゆみりば さやかてぃるちちん なだにくむてぃ
hichui 'umichimiti yoo tiru chichi yu miriba sayaka tiru chichiN nada ni kumuti
◯ひとり思い詰めて照る月をみると、鮮やかに照る月も涙に曇って
語句・さやか さえて明るい様。
「嘉手苅林昌 小浜守栄」というCDに収録されている。
小浜守栄氏は沖縄戦後に嘉手苅林昌氏らを引き連れて各地で民謡を披露してきた、いわば戦後沖縄民謡復興の立役者。
米軍基地で働きながら、当時は当たり前だった「戦果あぎゃー」(せんくゎ;米軍の物質を盗み出す事)をしながら現在の民謡歌手の大先輩ともいえる人々を集めて、歌三線、沖縄民謡の復興の下支えをしたという。
先輩であった小浜守栄氏の声と林昌先生のそれとはこの当時非常に似ている。
もちろん三線の手も装飾も。
林昌先生の人気が高くなった頃、理由は不明だが民謡界から姿を
消したといわれている。
さてこの曲、意外と工工四もひろまっておらず、ゆったりした曲調で、失恋した女性の思いを歌っている。
そのうち工工四も興してみたい。
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宮古根
宮古根
なーくにー
Naakunii
語句・なーくにー この曲名の由来など解説は「宮古根」を参照。
歌三線 我如古より子
草刈いになじき 後原にいもりヨ はか口ぬカンダ アヒ小たまし
(囃子)思いるアヒ小とぅ約束小 他所目隠りてぃ 語れー小
くさかいになじき くしばるにいもりよ はかぐちぬ かんだ あふぃぐゎたまし
うむゆるあふぃぐゎとぅやくすくぐゎ ゆすにかくりてぃ かたれぐゎー
Kusakai ni najiki kushibaru ni imri yoo hakaguchi nu kaNda 'ahwigwa tamashi
'umuyuru 'ahwigwa tu yusumi kakuriti kataree gwa
◯草刈りのふりをして後ろの畑にいらっしゃい 刈り取った最初の芋のツルは貴方のものよ
(囃子)愛してる貴方とした約束は、他人の目に隠れての逢瀬
語句・なじき ふりをする。口実。・くしばる後ろの原っぱ。後ろの畑。・はかぐち「仕事の始まり。端緒。農村などでは鍬をいれ始める所をいう」【沖縄語辞典】(内間直仁・野原三義)。・かんだ 甘藷(サツマイモ)のツル。沖縄では現在でも野菜として利用する。・あふぃぐゎ お兄さんくらいの意味だが、ここでは愛しい彼氏。 あふぃー;「〔平民語〕兄、兄さん」・たまし ①「精神、しっかりした心」。②「(各自の)持ち〔取り〕分」ここでは② 。
十字路にアヒ小待ちかにらやしがヨ 親ぬ目ぬしじさ 自由んならん
(囃子)仕事ん手ねーちちゃびらん 落てぃんちからん くぬ想い
かじまやに あふぃぐゎ まちかにらやしがヨ うやぬみぬ しじさ じゆんならん
しぐとぅんてぃねちちゃびらん うてぃんちからん くぬうむい
Kajimayaa ni 'ahwigwa machikanira yashiga yoo 'uya nu mii nu shijisa jiyuN naraN
ShigutuaN tii nee chichabiraN 'uthiN chikaraN kunu 'umui
◯十字路で貴方は待ちかねているだろうけれど、親がしょっちゅう見るので自由に行くことができないわ
(囃子)仕事も手につかないの 落ち着きません このあなたへの想いで
語句・かじまやー 「風車」、十字路。・しじさ 多さ。<しじさん。多い。「しじさ」は形容詞の感嘆の意味があるので、とても多いことよ!くらいの意味。・ちちゃびらん つきません。<ちちゅん。着く。+やびらん。でない。の丁寧語。
片時ん急じ 行逢いぶさあしがヨ カンダ葉ぬ汁や 口んやちゅさ
(囃子)今日ねー思やとぅけー行逢てぃ タンカーマンカー さら夜ながた
かたとぅちんいすじ いちゃいぶさあしがヨ かんだばぬしるやくちんやちゅさ
ちゅーねーうむやーとぅけーいちゃてぃ たんかーまんかーさらゆながた
katatuchiN 'isuji 'ichaibusa 'ashiga yoo kaNdaba nu shiru ya kuchiN yachusa
chuu nee 'umuyaa tu kee 'ichathi taNkaamaNkaa sarayunagata
◯いつも焦ってあなたに逢いたいけれども このサツマイモのツルのお汁熱くて火傷しそう
(囃子)今日はあなたと思い切って逢って差し向かいで真夜中までも
語句・ぶさあしが したいけれども。<ぶしゃん。したい。+あしが。だけども。・けー ちょっと。思い切って。・たんかーまんかー 「さし向かいになる様、隣同士」【琉球語辞典】(半田一郎)。・さら 真。さら+ゆながた(夜中)で、真夜中。
我如古より子さんのアルバム「恋の花」に収録されている宮古根から。
恋をする娘が、彼に逢いたくていても立ってもいられない様子と、親との関係を歌っている。
ただ宮古根なのだが、背景に流れる音はエレキギター、シンセ。ドラム。
ジャズフュージョン調。
けれども、このアルバムの曲のアレンジは大変勉強になった。
沖縄民謡の音階と三線の音色、そして歌を活かしたアレンジは見事。
我如古より子さんの歌声も素晴らしい。
お勧めのアルバムの一つ。
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シミルスルヌガ
シミルスルヌガ
しみるするぬが
shimi ru suru nuga
〇いいんじゃないの?
作詞作曲 川田 松夫 歌三線 登川誠仁 糸数カメ
一、(女)笑てぃ飲みわる 酒小まあさる 銭小払れ ちゃーしんしむんちな 手取い棒取い 可笑しいむんやさ なまちやっさ (男)しみるするぬが
わらてぃぬみわる さきぐゎーまーさる じんぐゎーはられーちゃーしんしむんちなー てぃーとぅいぼーとぅい うかしいむんやさ なまちやっさ しみるするぬが
warati numi wa ru saki gwaa maasaru jiNgwaa hararee chaa shiN shimuNchi naa tii tuti boo tuti 'ukashii muN yasa namachi yassaa shimiru suru nuga
〇(女)笑って飲んでこそ酒は美味しい 金払えば何してもいいのかい? 喧嘩ふっかけておかしい人だよ 無鉄砲だよ
(男)いいじゃないか
語句・はられー払えば。<はらゆん。払う。 ・ちゃーしん 何しても。どうしても。 ・しむんちなーいいというのかい? <しむん 良い。+ち と+なー なの? ・なまち 無鉄砲。後先を見ない人。
二、(男)銭小取いね ちゃーしんしむんち 我んねーくまにゐしてぃうちきとてぃ 汝やみった やまぐやっさ たまたがきそてぃ (女)しみるするぬが
じんぐゎーとぅいねー ちゃーしんしむんち わんねーくまに ゐーしてぃうちきとーてぃ やーやみったーやまぐやっさ たまたがきそーてぃ しみるするぬが
jiNgawaa tuinee chaa shiN shimuN chi waNnee kuma ni yishiti 'uchikitooti 'yaa ya mittaa yamagu yassa tamata gaki sooti shimiru suru nuga
〇(男)金取れば何を言ってもいいと 私をここに置いといて お前はかなりずるいやつ。二股かけて。
(女)いいじゃないの
語句・うちきとーてぃ うちきゆん 置く。 ・みった めったやたらに。・やまぐ 「ずるいこと。狡猾」【琉球語辞典】。・たまた 二股。
三、(女)まーさ物くぃてぃ ちゅらくくぇーらち 正月迎けーる 我んねーしんせーるい (男)腰んまぎさい 美らむんやっさ 尻んまぎさい (女)しみるするぬが
まーさむんくぃてぃ ちゅらーく くぇーらち そーぐゎちんけーる わんねーしんせーるい がまくん まぎさい ちゅらむんやっさ ちびんまぎさい しみるするぬが
maasa muN kwiti churaaku kweerachi soogwachi Nkeeru waNnee shiNseeru i gamakuN magisai churamuN yassa chibiN magisai shimiru suru nuga
〇(女)美味しいものもらって 見事に太らせて 正月迎えて(しんせーるい;不明)(男)腰も大きく 見事だよ 尻も大きくて
(女)いいじゃない
語句・くぇーらち 太らせ。<くぇーゆん 太る。
四、(男)美ら姉小 はい行逢てぃ 妻小なりんち しかきてぃんちゃれー 美らーさ蹴らってぃ 迷惑さっさ 汝ん居るむん しみるするぬが
ちゅらんみーぐゎー はいいちゃてぃ とぅじぐゎーなりんち しかきてぃんちゃれー ちゅらーさ きらってぃ みーわくさっさ やーんうるむん しみるするぬが
chura Nmiigwaa hai'ichati tujigwaa nariNchi shikakiti Ncharee churaasa kiratti miiwaku sassa 'yaaN wuru muN shimiru suru nuga
〇きれいなお姉さんと出会って 結婚しようと誘ってみたら 見事に蹴られて不名誉なことになったよ(でも) お前が居るから いいじゃない
五、(女)女見しれー目やとぅじゃなてぃ 意地どぅやるんち しかきてぃんちゃんな 我が居るむん合点すんな 生意やっさ(男)しみるするぬが
うぃなぐみしれー みーやとぅじゃなてぃ いじどぅやるんち しかきてぃんちゃんなー わーがうるむん がってぃんすんな なまちやっさ しみるするぬが
winagu mishiree mii ya tujanati 'iji du yaruNchi shikakiti NchaN naa waa ga wuru muN gattiN suN naa namachi yassa shimiru suru nuga
〇(女)女見れば目が鋭くなって意地でもって 誘ったわけね 私が居るのに納得できない 無鉄砲なやつだわ
(男)いいじゃないか
語句・とぅじゃなてぃ 鋭くなって。
六、(男)美ら二才が飲みーがちゃーい 甘口使れー惚りてぃる居いくゎいるい (女)まる合点し 打込りんちゃくとぅ しぐに振らってぃ しみるするぬが
ちゅらにせーが ぬみーがちゃーい あまぐちちかれーふりてぃるういくゎいるい まるがってぃんし うちくりんちゃくとぅ しぐにふらってぃ しみるするぬが
chura nisee ga numii ga chaai 'amaguchi chikaree hurithi ru wikwairui maru gattiNshi 'uchikuri Ncha kutu shigu ni huratti shimiru suru nuga
〇(男)かっこいい青年が飲みに来たら甘い言葉使って惚れたりしてやがる
(女)完全にその気になって打ち込んでみたけど すぐに振られて いいじゃないの!
語句・くゎいるい <くゎゆん しやがる。
七、(男)男見しれー しーちないない 前ない後ない しりひちしーくゎいせー 汝やあんすか すくちゃーやてーる 腹ーねーとてぃ(女)しみるするぬが
うぃきが みしれー しーちないない めーないくしない しりひちしーくゎいせ0 やーやあんすか すくちゃー やてーる わたーねーとーてぃ しみるするぬが
wikiga mishiree shiichinainai meenai kushinai shirihichi shii kwai see 'yaa ya 'aNsuka sukuchaa yateeru wataa neetooti shimiru suru nuga
〇(男)男を見ると 体を押し付け 前も後ろもなく すりよっていきやがる お前がそんなに おっちょこちょいで 我慢もできないとは
(女)いいじゃないの
語句・しーちないない <しーちゅん 「(からだで)押す」【琉辞】。 しーちぇー:おしくらまんじゅうのこと。・あんすか 「それほど(後に否定表現が続く)」【琉辞】。・わた お腹。腸。が一般的だが、ここでは「忍耐」。「女ぬ腹や黒縄ん朽たしゅん」(うぃなぐぬわたや くるなーん くたしゅん)[女の腹は黒縄をも朽ち果てさせるほど強い忍耐力がある]。
八、(女)油物くぃてぃ 手ぢきたんて 腰んがぢりてぃ 面色ぬぎとーせー 確かに他所んぢ ちむえぬあんてー尻んがぢりてぃ (男)しみるするぬが
あんだむんくぃてぃ てぃーじきたんてー がまくんがじりてぃ ちらいるぬぎとーせー たしかにゆすんじ ちむえーぬあんてー ちびんがじりてぃしみるするぬが
'aNdamuN kwiti tii jikitaN tee gamakuN gajiriti chira'iru nugitoosee tashikani yusu Nji chimuee nu 'aNtee chibiN gajiriti shimiru suru nuga
〇(女)油物あげて手なづけようとして 腰は痩せて 顔色悪くなっているのは 確かに他所で訳ありで 尻も痩せて
(男)いいんじゃないの!
語句・くぃてぃ あげる。もらう。(区別はない)。・てぃーじき <てぃーじきゆん。手なづける。・がじりてぃ <がじりゆん 「痩せ細る」【琉辞】。・ぬぎとーせー 抜けているのは。<ぬぎゆん 抜ける。脱げる。ここでは顔色がない、悪い。・ちむえー わけ。理由。
「青年時代の登川誠仁」に収録されている、糸数カメさんとデュエットから。
「シミルスルヌガ」にはこのすこし込み入ったやり取りのものと、すこし簡略化されたもの(四番まで)と二種類ある。
(参考「正調 琉球民謡工工四」 滝原康盛著 第3巻)
会話形式で、男女のいわゆる「痴話喧嘩」をユーモラスに唄にしている。
設定がすこしわかりにくいのと、三番の「しんせーるい」のところは不明。検討課題。
youtubeに音源があるので張り付けておく。ご参考までに。
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月夜の恋
月夜の恋
ちちゆぬくい
chichi yuu nu kui
〇月夜の恋(表題は標準語読みのようであるが、うちなーぐち読みの場合)
作詞・作曲 亀谷朝仁
一、(女)月ぬ夜になりば 肝ぬわさみちゅい 二人が待ち所 急ぢ行ちゅん イェーあひ小 月ん美らさぬや
ちちぬゆになりば ちむぬわさみちゅい たいがまちどぅくる いすじいちゅん えーあひぐゎ ちちんちゅらさぬや
chichi nu yu ni nariba chimu nu wasamichui tai ga machidukuru 'isuji 'ichuN 'ee 'ah(w)igwa chichiN churasanu yaa
〇月が照る夜になると心が騒ぎ出して 二人が約束した待ち合わせ場所 急いで行くわ ねえ 貴方 月も美しいからね
語句・ちち 月。・ちむ 心。「kimo」(肝)をウチナーグチの三母音化(e→i、o→u)に適用すると「kimu」。さらに「k」が「ch」に変化(破擦音化)することで「chimu」。・わさみちゅい
<わさみちゅん ざわめく。語尾が「い」になっているのは「ざわめくからか」くらいの意味。・えー おい。ねえ。同等か目下の者を呼ぶときにのみ使う。アルファベット表記のところで「ee」の前に「'」をつけているのは「声門破裂音」「グロッタルストップ」といわれる沖縄本島特有の発音様式で「声門を閉じた状態から急に開放するときに生じるかすかな破裂音」参考【琉球語辞典(半田一郎)】・あひぐゎ お兄さん、くらいの意味だが、ここでは「貴方(あなた)」。「あふぃぐゎー」ともいう。・ちゅらさぬ 清らかだから。美しいから。<ちゅらさん 「美しい」「綺麗[清潔]である」【琉辞】。もともとは「きよらさ+あん(ある)」から。見かけの美しさより「清らかさ」に近い。「ちゅらさぬ」で原因をあらわす。形容詞の末尾が「ぬ」→「だから」。
二、(男)今が来らとぅ思てぃ 待ちかにてぃ居たさ 今宵照る月や 無駄にするなイェーかなしい 月ん美らさぬや
なまがちゅらとぅむてぃ まちかにてぃうたさ くゆいてぃるちちや むだにするな えーかなしい ちちんちゅらさぬや
nama ga chura tumuti machikaniti uta sa kuyui tiru chichi ya muda ni suruna 'ee kanashii chichiN churasanu ya
〇今来るかと思って待ちかねていたよ 今宵照る月は絶好の機会だぞ おい 愛しいお前 月も綺麗だね
語句・なまがちゅら 今にも来るだろう。<なま。今。+が 疑問。+ ちゅら<ちゅーん 来る。→来るだろう。・かなしい 愛しい人(お前)。<かなし 愛しい。「悲しい」ではない。(「悲しい」は「なちかしゃん」)。
三、(女)待ちかにらと思てぃ 肝あまじ居しが 人目忍ぶんでぃ 今でぃなたさ イェーあひ小 月ん美らさぬや
まちかにらとぅむてぃ ちむあまじうしが ひとぅみしぬぶんでぃ なまでぃなたさ えーあひぐゎ ちちんちゅらさぬや
machikanira tumuti chimu 'amaji ushiga h(w)itu mi shinubu Ndi namadi nata sa 'ee 'ah(w)igwa chichiN churasanu yaa
〇貴方が待ちかねてると思って心が気が気でなかったけど 人目を忍ぶために今の時間になったわ ねえ貴方月も美しいわ
語句・まちかにら 待ちかねているだろう。・あまじ <あまじゅん 「動揺する、揺れる」【琉辞】。・なまでぃ <なまでぃー「いまだに、まだ」【琉辞】。直訳すると「まだになったよ」だが「こんなに遅くなったよ」くらい。
四、(男)月ん照り美らさ 無蔵ん色美らさ 歯口小ん美らさ かなし無蔵よ イェーかなしい 月ん美らさぬや
ちちんてぃりぢゅらさ んぞんいるぢゅらさ はぐちぐゎんちゅらさ かなしんぞよ えーかなしい ちちんちゅらさぬや
chichiN tirijurasa NzoN 'irujurasa haguchigwaN churasa kanashi Nzo yoo 'ee kanashii chichiN churasanu ya
〇月も照って美しいよ お前も色っぽくて美しい 口元も綺麗だ 愛しいお前よ おい 愛しいお前 月も綺麗だね
語句・んぞ 男性から愛しい女性への呼称。「無造作(むぞうさ)」からきているといわれる。・はぐちぐゎ 口元。
五、(男女)月ん西下がてぃ やがてぃ夜ん明きさ 二人や縁結でぃ 戻る嬉さ 何時までぃん 変わて呉るな
ちちんいりさがてぃ やがてぃゆんあきさ たいやゐんむしでぃ むどぅるうりさ いちまでぃん かわてぃくぃるな
chichiN 'iri sagati yagati yuN 'aki sa tai ya yiN mushidi muduru 'urisa 'ichimadiN kawati kwiruna
〇月も西に沈んで やがて夜も明けるよ 二人は縁を結んで家に戻る 嬉しいね いつまでも心変わりしないでね
CD「沖縄コンビ歌 決定版」に収録。
男女の恋の燃え上がる気持ちを三線のリズム弾きで表現。
月の光がさらに二人の逢瀬を盛り上げている。
題名はCDにも「つきよのこい」と振り仮名があるので、標準語読み。
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夏至南風
夏至南風
かーちぱい
Kaachipai
◯夏至の頃に吹く南風
語句・かーち <かーちー。「夏至」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】と略す。)石垣方言も同じ。【石垣方言辞典(宮城信勇)】(以下【石辞】と略す)・ぱい 「南」【石辞】。「はい」ともいう。本島では「ふぇー」「へー」(南)なので、夏至南風は「かーちーべー」という。新良幸人さんが石垣島出身のため「かーちぱい」。ちなみに九州・島根では南(はえ)。
作詞 新良幸人 作曲 下地勇
一、エイヤエイヤとぅりゅうの歌音 風やまとも夏至南風 ぐるりぬ海や 見事な眺み 夏太陽の照太陽 夏至南風
えいやえいやとぅ りゅうぬうたうとぅ かじやまとぅむ かーじぱい ぐるりぬ とぅけや みぐとぅなながみ なつてぃだ てぃるてぃだ かーちぱい
eiya eiya tu ryuu nu 'uta 'utu kaji ya matumu kaajipai gururi nu tuke ya migutu na nagami natsu tida tiru tida kaachipai
◯エイヤ エイヤとりゅう(竜。もしくは櫓[ろ]。)の歌音 風は順風 夏至南風 周囲の海は見事な眺めである 夏の太陽 照る太陽 夏至南風
語句・りゅう 「竜」も「櫓」(ろ)も「りゅう」と発音する上に、歌手カードにも漢字ではなく「りゅう」と表記されているので、どちらなのか判別できない。・まとぅむ 「【真艫】船尾(の方向):(船尾のほうから吹く)順風」【琉辞】。昔の航海は、帆に風を受けて推進力にする帆船(ふーしん)だったので、目的地の方に進むためには艫(とぅむ:船尾)から吹く風を順風と呼び歓迎した。・ぐるり 【琉辞】にも沖縄語辞典にもない。標準語の「ぐるり」か。ちなみにウチナーグチでは「まーい」「みぐい」「まーる」【琉辞】。
さっさ さっさ 舞い遊ばな さっさ さっさ 世ばなうれ
さっさ さっさ まいあしばな さっさ さっさ ゆばなうれ
sassa sassa maiashibana sassa sassa yubanaure
◯舞い遊ぼう 世は直れ(良くなれ)
語句・あしばな 遊びたい。または、遊ぼう。「な」は動詞の未然形について「希望」(‥したい)、「呼びかけ」(‥しよう)になる。その区別は文脈から。・ゆばなうれ 「安里屋節」や「船越節」など八重山民謡や、「豊年のうた」など宮古民謡の古謡の囃子言葉に使われることが多い。「世は直れ」「五穀豊穣になれ」と訳されることが多い。確かに、そう願わざるを得ない時代背景(琉球王朝による重税「人頭税」、そのための「島分け」による別離の苦しみやマラリア地獄など)に作られた歌に多く使われているが「なうれ」という語句は命令形だと思われるが、【石辞】にも【琉辞】にもない。【石辞】には「のーるん」が「なおる」と「稔(みの)る」の二つの意味ででてくるだけである。古謡の囃子言葉の意味を理解することは非常に難しい。ここでは通説である「世は直れ(良くなれ)」としておく。
ニ、夏太陽に 照太陽に 風やまとぅむ夏至南風 青々とぅ空 青々とぅ海 くぬ世ぬ栄いゆ願立てぃら
なつてぃーだに てぃるてぃーだに かじや まとぅむ かーちぱい あうあうとぅすら あうあうとぅうみ くぬゆぬさかいゆがんたてぃら
natsu tiida ni tiru tiida ni kaji ya matumu kaachipai 'auau tu sura 'auau tu 'umi kunu yu nu sakai yu gaN tatira
◯夏の太陽に 照る太陽に 風は順風 夏至南風 青々と空 青々と海 この世が栄えるよう願いを立てよう
語句・ゆ 文語で使われる「を」。口語では用いない。・がんたてぃら 願いを立てよう、願いをこめよう、くらいの意味か。
三、昼間ぬ月ん 天に明がり 風やまとぅむ夏至南風 夜空群星 糸音ぬ清らさ あまたぬ キラリや 天ん川
ふぃるまぬちちん てぃんにあかがり かじやまとぅむ かーちぱい ゆずら むりぶし いちゅにぬ ちゅらさ あまたぬ きらりや てぃんがーら
hwiruma nu chichiN tiN ni 'akagari kaji ya matumu kaachipai yuzura muribushi 'ichuni nu churasa 'amata nu kirari ya tiNgaara
◯昼間の月も天に明るく 風は順風 夏至南風 夜空のスバル 糸音(三線の音色)の美しいことよ!数多くのキラリ(光?)は天の川
語句・むりぶし 八重山方言で「すばる(プレアデス)」【琉辞】本島では「むるぶし」。・いちゅに
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恋し鏡地
恋し鏡地
くいしかがんじ
kuishi kagaNji
〇恋しい鏡地(地名)
語句・かがんぢ 沖縄県国頭郡国頭村鏡地。「はがんぢ」とも。
作詞・作曲/儀保 正輝
一 奥間森ぬ伊集ぬ木や 花ん咲ちょさ 露かみてぃ ありから幾年なとーがや 見りば思いやまさてぃ 戻てぃ来うよう鏡地に
うくまむいぬ いじゅぬきや はなんさちょさ ちゆかみてぃ ありからいくとぅし なとーがや みりばうむいやまさてぃ むどぅてぃくよ かがんぢに
ukuma mui nu 'iju nu ki ya hanaN sachoosa chiyu kamiti 'arikara 'ikuneN natooga yaa miriba 'umui ya masati muduti kuuyoo kagaNji ni
〇奥間森のイジュの木は 花も咲いているよ 露をのせて あれから何年になっているかねえ 見ると(あなたへの)想いが強くなり 戻ってきてね鏡地に
語句・うくまむい 鏡地の隣の奥間地区の森。・いじゅ 「伊集」とも書くが、ツバキ科ヒメツバキ属。5月から花が咲く。 沖縄ではよく見られる。「辺野喜節」(びぬちぶし)にも歌われ、「伊集の木の花やあんきょらさ咲きゆり わぬも伊集やとて真白(ましら)咲かな」とあるように白い花が咲く。・かみてぃ <かみゆん (頭などの)上にのせる。・まさてぃ <まさゆん 強くなる。・くーよー <ちゅーん 来る。の命令形 くー。+よー ね。
ニ 畔払ぬあぬ時に 袖にしちゃるあぬ情 ぬんでぃ他人に知らすがよ 夕びん何がやら淋しさぬ 鏡地浜に居ちょたしが
あぶしばれーぬあぬてぅちに すでぃにしちゃる あぬなさき ぬんでぃゆすにしらすがよ ゆーびんぬがやら さびしさぬ かがんぢばまにいちょたしが
'abushi baree nu 'anu tuchi ni sudi ni shicharu 'anu nasaki nuu Ndi yusu ni shirasu ga yoo yuubiN nuugayara sabishisanu kagaNjibama ni 'ichoota shiga
〇田のお祓いのあの時に 別れを告げられたあの恋 なんといって他人に語れるか 夕べも何か寂しくて 鏡地浜にたたずんでたが
語句・あぶしばれー あぶし(田んぼのあぜ)祓い。旧暦の4月の14、15日あたりに行われる害虫駆除の儀礼。・すでぃにしちゃる 「すでぃにすん」(「おろそかにする」【琉球語辞典】)→「すでぃにしちゃる あぬ情」(別れを告げられたあの恋」。・ぬんでぃ <ぬー 何。+ んでぃ と言って。 と。
三 確かありや霜月ぬ 月ぬ夜ぬあぶし路 比地橋居とてぃ別りたる 後姿ぬ忘ららん 戻てぃ来うよう 鏡地に
たしかありや しむちちぬ ちちぬゆぬ あぶしみち ひじばしうとてぃ わかりたる うしるしがたぬ わしららん むどぅてぃくよーかがんぢに
tashika 'ari ya shimuchichi nu chichi nu yuu nu 'abushi michi hwijibashi utooti wakaritaru 'ushiru shigata nu washiraraN muduti kuu yoo kagaNji ni
〇確かあれは11月の満月の夜の田んぼの畔道 比地橋で別れた後ろ姿が忘れられない 戻っていてね鏡地に
語句・しむちち 旧暦の11月。・ひじばし 国頭村の奥間の比地川にかかる橋。・うとーてぃ ~で。
四 此ぬ内行逢ゆら んでぃ思てぃ 今日ん友小に 沙汰さしが 今度ぬ十五夜までぃや 恋しあぬ橋渡てぃ 戻てぃ来うよう 鏡地に
くぬうちいちゃゆら んでぃうむてぃ ちゅーんどぅしぐゎーにさたさしが くんどぅじゅーぐやまでぃや くいしあぬはしわたてぃ むどぅてぃくよー かがんぢに
kunu 'uchi 'ichayura 'Ndi 'umuti chuuN dushigwaa ni sata sashiga kuNdu nu juuguya madhi ya kuishi 'anu hashi watati muduti kuu yoo kagaNji ni
〇近いうちに会えるだろうって思って今日も友達と噂したけど今度の満月の十五夜までには 恋しい思い出のあの橋を渡って戻ってきてね 鏡地に
語句・くぬうち 近いうちに。「このうち」というのは沖縄語独特の表現。本土では「そのうち」だろう。・いちゃゆら <いちゃゆん 出会う。会う。 未然形 いちゃゆら。会うだろう。 ・さたさしが <さた 噂。+さ <しゅん + しが だけども。・じゅーぐや 「満月の夜;(特に)旧暦8月15日の夜、中秋」【琉辞】。
人気歌謡でもある「恋し鏡地」を訳してみた。
失恋の歌でもあるが、愛しい彼と別れて、離れてしまったが、この恋しい鏡地に戻ってきてほしい、と願う乙女心をよく歌っている。
このCDでは饒辺勝子さんが歌っている。
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なーしび節
なーしび節
なーしびぶし
Naashibi bushi
◯ナスビの唄
語句・なーしび 茄子、ナスビ。
一、実りよ実り茄子 姑ぬ家ぬ茄子 実らなそてぃ茄子 嫁名立ちゅみ
なりよーなりなーしび しとぅぬやーぬなしび ならなそーてぃなーしび ゆみなたちゅみ
Nari yoo nari naashibi shitu nu yaa nu naashibi naranasooti yumi nu naa tachumi
◯実れよ実れ茄子 姑(しゅうと)の家の茄子 ならなかったら嫁の名が立つまい
語句・なりよー 実れよ。<なゆん。ないん。実がなる。命令形。+よー 「よ。命令形の柔らげ、呼びかけ、など」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】)。なりよ→融合して「なれー」というときもある。・しとぅ 姑。しゅうと。結婚相手の、義理の母親。・ならなそーてぃ ならないでいて。→ならないと。・ゆみ嫁。・たちゅみ立つか?反語で、「立つか?立たないだろう。」
二、うみ働り働り うみ働てぃぬすが 明日や出じゃさりる 嫁ぬくれぬ
うみはまりはまり うみはまてぃぬーすが あちゃやんじゃさりるゆみぬくれーぬ
'umi hamari hamari 'umihamati nuu su ga 'acha ya 'Nzyasariru yumi nu Kuree nu
◯励んで働け、働け(というけど)励んで働いてどうするか?明日は放り出される嫁の身分が
語句・うみはまり 励め。<うみはまゆん。うみはまいん。命令形。「うみ」思い。没頭する。・んじゃさりる 出される。<んじゃすん。出す。受身形。・くれーぬ 位が。くらいが。「ぬ」 が。
三、明日や出じゃさりる 嫁ぬ身ややてぃん 居る間ぬ努み はまてぃさびら
あちゃやんじゃさりるゆみややてぃん うるいぇだぬちとぅみ はまてぃさびら
'acha ya 'Njasariru yumi nu mii ya yatiN uru yeda nu chitumi hamatisabira
◯明日は追い出される(ような)嫁の身だけれど 家に居る間の勤めはお励みいたします
語句・うる 居る。<うん。居る。
四、嫁からどぅアンマー 姑んなてぃいめる うんじゅひちあてぃてぃ 愛さみしょり
ゆみからどぅあんまー しとぅんなてぃいめーる うんじゅひちあてぃてぃ かなさみしょーり
yumi kara du 'aNmaa shitu nati 'imeeru 'uNzu hichi 'atiti kanasamishoori
◯お嫁からお義母様も姑になっていらっしゃいます あなた様もご自分の事だと思い(私に)優しくしてください
語句・あんまー お母さん。・いめーる いらっしゃる。<いめーん 「居る、行き、来の尊敬語」【琉辞】連体形なのは、その前の「どぅ」との係り結びの関係。「どぅ」は強調の意だが、訳すときは「こそ」を省略してもかまわないときもある。また「しか」「だけ」という意味も多い。
五、鳥歌てば明きる 夏ぬ夜どぅやしが ぬがし姑びれや 明かしぐりしゃ
とぅいうてーばあきる なちぬゆーどぅやしが 脱がししとぅびれーや あかしぐりしゃ
tui 'uteeba 'akiru nachi nu yuu du yashiga nuu ga shi shitubiree ya 'akashi gurisha
◯鳥が鳴けば夜が明ける夏の夜であるが どうして姑との付き合いは明けにくい(いつまでも夜のようだ)
語句・とぅい 鳥、鶏。・うてーば うたえば。鳴けば。<うたゆん。うたいん。うてぃ+や→うてー。+ば(仮定)。・ぬがし どうして。<ぬー(何)+が(疑問)+し(強調)。「英語のhow,whyのいずれにも」【琉辞】。・しとぅびれー 姑との付き合い方。「どぅしびれー」は友達付き合い。・ぐりしゃ …しずらい。接尾語。形容詞の「くりしゃん」(苦しい)から。
嫁、姑の確執はいつの世でもあるのだろうが、男尊女卑の強い時代は「嫁」に大きな負担がのしかかっていたことだろう。
その嫁の側からの悲痛な声を唄にしたもので、実は全国にこの「ナスビ節」は流行歌として広まっていた。
「島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)によると
「『大怒佐』(発行年度不明)一之巻吉野山に『なれなれ茄子、背戸のやの茄子、ならねば嫁のんん やあこれの 嫁の名の立つにんん やあこれの、嫁の名の立つにんん やあこれの』があり、熊本民謡に『なれなれ茄子』がある。ほかに「なれなれ なすび背戸のやの茄子、ならねど嫁の名の立つにヤァコリャコチラヘセ』(『巷謡篇』上『なすび』)-と関連する唄は多い。これらの歌は、一種の流行歌として日本全国に流布されたようである。沖縄の『なーしび節』も、その系統の沖縄化した歌と考えられる」
嘉手苅林昌さんの初レコードがこの「なーしび節」と「恋かたれ」だった。
CD「ジルー」に収録されている。
ところが、この林昌さんのほうは嫁姑の話ではなく、男女の恋歌となっている。
こちらの歌詞を次回はとりあげてみたい。
私事ですが、この四番の歌詞を嘉手苅林昌さんの下千鳥で聴いた。
その時はさっぱり意味がつかめなかったが「なーしび節」の一節だったとはしらなかった。
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あこがれの唄
あこがれの唄
作詞・作曲 普久原 朝喜
[題名は「あこがれのうた」と標準語読みだと思われる。「あくがり」をウチナーグチに直すと「うむいくがりゆん」となり「あくがり」とは読まない理由で。]
一、行ちぶさや大和 住みぶさや都 あさましや沖縄 変わいはてぃてぃ 変わいはてぃてぃ
いちぶさややまとぅ すみぶさやみやく あさましやうちなー かわいはてぃてぃ かわいはてぃてぃ
'ichibusa ya yamatu sumibusa ya miyaku 'asamasi ya 'uchinaa kawai hatiti kawai hatiti
〇行きたいよ本土 住みたいよ都 あさましいよ沖縄 変わり果ててしまって
語句・ぶさ <ぶしゃん。ぶさん。 ・・・したい。 「fus(j)anの連濁」【琉球語辞典】。・あさまし <あさまさん。あさましい。「あさましい」とは国語辞書に「卑しい」「見苦しい」「予想外の結果に驚きあきれるようす」とある。
二、大和世に変わてぃ アメリカ世なてぃん ぬがし我が暮らし 楽んならん 楽んならん
やまとぅゆーにかわてぃ あみりかゆーなてぃん ぬがしわがくらし らくんならん らくんならん
yamatu yuu ni kawati 'amirika yuu natiN nugashi waga kurashi rakuN naraN rakuN naraN
〇日本(支配)の世に変わって アメリカ支配の世になっても どうして我が暮らしは楽にならないのか
語句・ゆー 「世、代」【琉辞】。・ぬがし 「nuu+ga+[強意助詞]si」【琉辞】。どうして。「どう」という意味もある。
三、戦場ぬ後や かにんちりなさや 見るん聞くむぬや 涙びけい涙びけい
いくさばぬあとぅや かにんちりなさや みるんちくむぬや なみだびけい なみだびけい
'ikusa ba nu 'atu ya kaniN chirinasa ya miruN chiku munu ya namida bikei namida bikei
〇戦場の後は こんなにも情けないものよ 見るもの聞くもの 涙がでるばかり
語句・いくさば 戦場。単に場所のことだけでなく「戦争」そのものを指すこともある。・かにん<かに。「斯(か)く、かように」【琉辞】。口語では「かん」。+ん 強調の「も」。こんなにも。・びけい ばかり。「しか」と、限定する場合にも使うが、「くらい」と程度を表すこともある。(cf.南洋小唄)ここでは前者。・なみだ 普通は「みなだ」「なだ」、文語で「なみだ」という場合もある。
四、自由に我ん渡す 舟はらちたぼり 若さあるうちに 急じ行かな 急じ行かな
じゆにわんわたす ふにはらちたぼり わかさあるうちに いすじいかな いすじいかな
jiyu ni waN watasu huni harachi tabori wakasa 'aru 'uchini 'isuji 'ikana 'isuji 'ikana
〇自由に私を渡してくれる舟を走らせてください 若さあるうちに急いで行きたい
語句・じゆ 「じゆう」jiyuuと発音することもあるが歌、琉歌の場合は「じゆ」。・はらち <はらしゅん。はらすん。走らせる。・たぼり <たぼーゆん。たぼーいん。 下さる。 の命令形。してください。
CD「徳原清文の世界」にもある。「あこがれの歌」
沖縄戦で荒廃した沖縄への悲嘆とアメリカ支配の下での苦難を歌にしている。
四番の「急いで行きたい」というのはどこだろうか。
行きたいよ大和、と言っているのは、荒廃した沖縄とアメリカの支配にあえぐ人々の「できれば逃げ出したい」という本音であろう。
沖縄戦もいわば本土決戦を遅らせる「捨石」だったし、今も70%以上の米軍基地を押し付けている日本の政治構造は変わっていない。
その意味で私たちは、この歌のように「逃げたい」という気持ちを蔑むこともできないし、憐れむこともできないのである。
昨日国会で「秘密保護法」が成立した。
この歌のような荒廃と混乱をもたらす「戦場」が再び到来しないとは言えなくなった。
米軍基地があり、また中国に一番近い場所沖縄は、この秘密保護法の適用がもっとも多くなる場所。
「あさましい」のは、またまた沖縄に高い負担を押し付け、隣国との戦争への準備を多数の力を使って推進する政治家たちである。
秘密保護法成立に抗議して、この歌を訳した。
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二見情話 2
二見情話
ふたみじょーわ
hutami joowa
(「歌詞集 沖縄のうた」有限会社キャンパス より)
これには「二見情話(本歌)」とある。
一、(男)二見美童や だんじゅ肝美らさ 海や山川ぬ眺み美らさヨ
ふたみみやらびや だんじゅちむぢゅらさ うみややまかわぬながみぢゅらさよ
hutami miyarabi ya danju chimu jurasa ’umi ya yamakawa nu nagami jurasa yoo
〇二見の娘は断然心が美しい(同様に) 海や山川の眺めは美しい
語句・だんじゅ 断然、絶対。・ちむじゅらさ 心の美しさ。「ちゅらさ」は「きよらかさ」から来ている。
二、(女)二見嫁までぃや ないぶさやあしが 辺野古崎坂ぬ 上い下いヨ
ふたみゆみまでぃや ないぶさやあしが ひ(ふぃ)ぬくざちひ(ふぃ)らぬ ぬぶいくだいよ
hutami yumi madi ya naibusa ya 'ashiga h(w)inukuzachi h(w)ira nu nubui kudai yoo
〇二見の嫁まではなりたいけれど 辺野古崎の坂は上り下り(がとてもきつい)
語句・ないぶさ <ないぶしゃん。ないぶさん。 なりたい。・あしが ・・だけれども。
三、(男)行逢たしや辺野古 (女)語たしや 東喜 (男)想てぃ通たしや 花ぬ二見ヨ
いちゃたしやひ(ふぃ)ぬく かたたしや とーき うむてぃかゆたしや はなぬふたみよ
'ichatashi ya h(w)inuku katatashi ya tooki 'umuti kayutashi ya hana nu hutami yoo
〇出会ったのは辺野古 語ったのは東喜 愛して通ったのは華やかな二見
語句・いちゃたしや <いちゃゆん 出会う。 →いちゃた 出会った。+ し ・・の。+や は。 出会った場所は。・とーき 地名であろうか。不明。・はな 植物の花にたとえて、華やかな、という意味でよく使われる。琉歌では「遊郭のあった場所」という意味もある。
四、(女)行ぢちゃびら言りば 行ぢ来よい何時か ぬがし云言葉に 御縁かきがヨ
んぢちゃびらいりば んぢくよい いちか ぬがしいくとぅばに ぐゐんかきがよ
'Njichaabira 'Njikuuyooi 'ichika nugashi 'ikutuba ni guiN kaki ga yoo
〇行ってきますね と言えば 行って戻ってきなさいよ いつか いかに言葉に御縁をかけるのか(戻ってきてくれるように)
語句・んぢちゃびら <んじ 出る。+ちゃびら<ちゃーびら 来ましょう。行きましょうね→行きますね。自分の意思。・んじくーよーい <出て+くーよーい 来なさいね。→行って戻ってきなさいね。命令形。・ぬがし どうやって。どうして。 ・ぐゐんかきが 御縁(を結ぶ願い)を掛けるのか。疑問形。
五、(男)待ちかにてぃ居たる首里上いやしが ちわみとる朝ぬ 別りぐりさヨ
まちかにてぃうたる す(しゅ)いぬぶいやしが ちわみとるあさぬ わかりぐりさよ
machikaniti utaru s(h)ui nubui yashiga chiwamitooru 'asa nu wakarigurisa yoo
〇まちかねていた首里への帰還だが (出発が)決まっている日の朝は 別れ苦しいものだ
語句・まちかにてぃ まちかねて。 ・ちわみとーる <ちわみゆん 決める。→きまっている。 ・ぐりさ <ぐりさん ・・し難い。形容詞。
六、(女)節なりば忘る 戦場ぬ夢よ (男)忘してぃ忘らりみ 花ぬ二見ヨ
しちなりばわしる いくさばぬいみよ わしてぃわしらりみ はなぬふたみよ
shichi nariba washiru 'ikusaba nu 'imi yoo washiti washirarimi hana nu hutami yoo
〇時期がくれば忘れる戦場の夢よ (でも)忘れても忘れられないのは 華やかな二見だ
語句・しち 「季節」「二十四節気」などとも訳すが、ここでは時期とした。
すでにとりあげた二見情話であるが、気になる歌詞を見つけた。
有限会社キャンパスが発売している「歌詞集 沖縄のうた」にある。
「二見情話(本歌)」とある。
歌詞がいくつか、我々が知っている二見情話とは違っている。
歌っているのは國吉真勇さんと石原映美子さん。
沖縄県知事が2014年12月27日辺野古への米軍基地建設に繋がる辺野古埋め立て承認をした。
この歌にもでてくる辺野古崎は、新しい軍事基地が作られようとしているところ。
この歌にものこされた美しい辺野古、二見の海と人々の暮らしがどれだけ破壊され、二度ととりもどせないことになるのか。
仲井真県知事は、もう一度この歌の持つ意味を感じてもらいたい。
私は絶対に辺野古への基地建設に反対する。
美しい世界にも稀なジュゴンがやってくる辺野古の海。
(二枚の写真は「沖縄片思い日記」からお借りしました)
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謹賀新年
「たるーの島唄真面目な研究」をご覧なってくださっている皆様。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
すばらしい沖縄の文化、歌三線に出会えた事の喜びを感じながら、今年もその歌の世界に漂いたいと思います。
そして、少しでも皆様の三線ライフに貢献できたら幸いと考えております。
今年も皆様にとって良き年でありますよう祈念します。
2014年 元旦。
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黒島節
黒島節
くるすぃま ぶすぃ
kurushïma bushï
◯黒島の歌
語句・くるすぃま 沖縄県八重山郡竹富町。形がハート形なのでハートアイランドとも呼ばれる。昔は「フスィマ」「サフスィマ」(つぃんだら節)と呼ばれた。
現在は畜産が盛んだが、昔は造船も行われていた。Wikipediaによると「蔡温の時代、八重山で強制移民が行われたが、この島もその対象となり、たびたび西表島や裏石垣(石垣島北部地方)への移民が行われた。この島の民謡として有名なチンダラ節は1732年に黒島の宮里部落から裏石垣の野底に強制移民が行われた際、連れて行かれた恋人の男を思って女が歌ったものと伝えられる。」。「すぃ」や「shï」の発音は中舌母音という八重山地方などに特有の発音で、詳しくは「鷲の鳥」の解説を参照の事。
歌詞参照「八重山古典民謡工工四 下巻 大濱安伴著」
一、我が島ぬ上なか 此ぬ島ぬ上なか ウヤキ ユバナウレ スリ ユバナウレ サースリ ユバナウレ
ばがーすぃまぬ ういなか くぬすぃまぬ ういなか うやき ゆばなうれ すり ゆばなうれ さーすり ゆばなうれ
bagaa shïma nu 'naka kunu shïma nu 'ui naka uyaki yubanaure suri yubanaure saa suri yubanaure
(囃子は以下略)
◯我々の黒島の上に この村の上に
語句・ばが 「我々の。私たちの」(「石垣方言辞典 宮城信勇著」 以下【石辞】と略す。)・すぃま 【石辞】 には①島②村、国、③郷里とある。本島方言の「しま」と同様、いわゆるアイランドという意味の島というより、故郷、村の方が多く使われる。・ういなか うえに。上に。「うい」は本島方言の「'wii」(うぃー)に対応。
二、弥勒世ば給られ 神ぬ世ば給られ
みるくゆーば たぼられ かんぬゆーばたぼられ
mirukuyuu ba taborare kaN nu yuu ba taborare
◯五穀豊穣の時代をくだされ 神の世をくだされて
語句・みるくゆー 「弥勒菩薩の世。豊穣平和の世。理想的な世とされている。」【石辞】。・ば を。【石辞】にはないが、古語の「をば」の「ば」に対応していると思われる。参考「格助詞「を」+係助詞「は」からなる「をは」が濁音化した形。」Weblio古語辞典。・たぼられ くだされて。賜り。<たぼーるん 賜る。くださる。の受け身。連用形。
三、今年世ばなをらし 来夏世ばみきらし
くとぅすぃゆーばなをらし くなつぃゆーばみきらし
kutushï yuu ba naorashi kunatsï yuu ba mikirashi
◯今年は実り豊かで 来年の夏を実り多くならせて
語句・なおらし 実らせ。【石辞】のはない。不明であるが、「のーるん」「稔(みの)る」【石辞】の使役化「のーらせ」と関連するのだろうか。・みきらし これも【石辞】になく不明であるが、「みぅーなるん」(実を結ぶ。実現する。「実になる」の意)【石辞】と関連あるのだろうか。
四、願うだむてぃ給られ 手ずるむてぃ給られ
にごーだむてぃたぼられ てぃーずるむてぃたぼられ
nigooda muti taborare tiizuru(tiizïrï)muti taborare
◯願ったほどに頂戴し 手を合わせ祈ったほどに下さり
語句・むてぃ 「①〜するからには。」「②〜に応じて。見合うように」【石辞】。ここでは②。・てぃーずる 手を合わせて。【石辞】には「tiizïrï」(てぃーずぃるぃ)とあり、中舌母音のある発音になっている。
五、今年世や 勝らし 来年ぬ世や ゆくだら
くとぅすぃゆーや まさらし えんぬゆーや ゆくだら
kutushï yuu ya masarashi 'eN nu yuu ya yukudara
◯今年の世は去年より優って豊作で 来年の世はもっと良くなるだろう
語句・えん 来年。本島方言では「やーん」。・ゆく さらに。一層。【石辞】には「ゆくん」は悪い時に使う、とあるが、本島方言にはその区別はない。おそらく、その「ゆくん」との関係があるのではないか。・だら <だらー。「推量、意志などを表す」「①〜だろう」「②〜しよう」【石辞】。本島方言の動詞の語尾「ら」に対応。
八重山古典音楽安室流保存会の工工四では
一、我が島ぬ上なか 此ぬ島ぬ上なか スリ ユバナウレ サースリ ユバナウレ
二、今年世ばなをらし 来夏世ばみきらし
三、昔ゆば給られ 神ぬ世ば給られ
四、願うだむてぃ給られ 手ずるむてぃ給られ
と、若干の違いがある。
(コメント)
黒島で生まれた祝儀歌。
正月の綱引き行事の時に歌われていた「正月ゆんた」を作り直して今は「黒島節」と呼ばれているという。
喜舎場永珣著の「八重山島民謡誌」には、全く別の歌詞が載っている。
それについては次回。
また、琉球舞踊の「松竹梅」(揚作田節、東里節、赤田花風節、黒島節、下原節、浮島節)のなかにある黒島節の歌詞も全く異なっている。
それについてもまた触れたい。
(2014年2月10日 黒島にて。筆者撮影)
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黒島節 2
黒島節
くるすぃま ぶすぃ
kurushïma bushï
◯黒島の歌
(語句などは黒島節を参照のこと。)
歌詞参考は「八重山島民謡誌」(喜舎場永珣著)。
一、宮里村おうりて 西表クマチゆ 欲しやんど
みゃんざとぅむら うりてぃ いりむてぃくまちゆ ふしゃんど
myanzatu mura uriti 'irimuti kumachi yu hushaN doo
◯黒島の宮里村で西表クマチという美人が欲しいものだ
語句・うりてぃ 旧仮名遣いでは「おうりて」だが、「お」は「う」に、「て」は「てぃ」に変化する。また直訳すると「降りて」だが、沖縄語の「うん」(居る)の「うてぃ」や「うとーてぃ」が場所を表し「〜で」という意味があるように「〜で」と訳した。・ゆ を。「韻文のみで使う。口語では使わない」【「沖縄語辞典」国立国語研究所】・ふしゃん 欲しい。(形)・どー ぞ。だぞ。(助)
二、仲本村 おうりて本原ンガイゆ 欲しやんど
なかんとぅむら うりてぃ むとぅばるんがいゆ ふしゃんど
nakaNtu mura uriti mutubaru Ngai yu hushaN doo
◯仲本村で本原ンガイという美人を欲しいものだ。
三、東筋村おうりて 高嶺ブナリゆ 欲しやんど
ありしじむらうりてぃ たかんにぶなり ふしゃんど
'arishiji mura uriti takaNni bunari yu hushaN doo
◯東筋村で高嶺ブナリという美人を欲しいものだ。
四、伊久村おうりて 屋良部マントゆ 欲しやんど
いくむらうりてぃ やらぶまんとぅゆ ふしゃんど
'iku mura uriti yarabu maNtu yu hushaN doo
◯伊久村で屋良部マントという美人を欲しいものだ。
五、保里村おうりて 前盛ヤマリゆ 欲しやんど
ふーりむら うりてぃ まいむりやまりゆ ふしゃんど
huuri mura uriti maimuri yamari yu hushaN doo
◯保里村で前盛ヤマリという美人を欲しいものだ。
六、保慶村おうりて 赤名クヅラゆ 欲しやんど
ふきむらうりてぃ あかなくづらゆ ふしゃんど
hukimura uriti 'akana kuzura yu hushaN doo
◯保慶村で赤名クヅラという美人を欲しいものだ。
黒島節の元歌
前回の「黒島節」に引き続き同名のものを取り上げた。
「八重山島民謡誌」(喜舎場永珣著)に、掲載されているもので、今八重山で歌われている「黒島節」より以前に、そう呼ばれていたものであろう。
現在の「黒島節」は前回書いたように「正月ゆんた」を改定して歌われているのだという。
この「黒島節」について喜舎場永珣氏は「八重山島民謡誌」で
「この歌は黒島各村の一等美人を一人宛選抜して歌った美人盡(尽)しの歌である。何と赤裸々で面白いではないか」(括弧は筆者)
と述べている。
実際の実名をだして美人だと歌にするのは、現代ではミスユニバースとか、芸能人の売り込みなら多いに考えられないこともないが、封建制度のもとでおそらく士族ではない百姓(当時は市民はこう呼ばれた)の娘が歌に名を連ねるというのは民謡としても良くあることではない。
けれども当時は「安里屋ゆんた」などの例にもあるように、首里王府から派遣されてきた与人親(村長)や目差主(助役)といった官僚達が、現地の美人を賄(まかない)という名の妾(めかけ)、現地妻にしていたことと関係があるとすれば、あっても当然の歌といえるかもしれない。
同時に、美人賛歌は村賛歌と同じ意味があったとも考えられる。
村の名前
現在の村の名前は
保里、宮里、仲本、東筋、伊古の五つがある。
伊久はおそらく今の伊古であろう。
保慶は無い。これは黒島口説にでてくる村名である。
(竹富町観光協会HPより)
歌の作られた時期
この歌の生まれた時期について喜舎場永珣氏は
「西表クマチといふ美人は寛政八年頃に生まれた者で、彼女が眞盛りの二十歳前後にこの歌が詠まれたと假(化)定したら、今から凡そ百六年前後の作である」(括弧は筆者)。
と述べていることを根拠にすれば、寛政は1789年からなのでクマチさんは1797年生まれ、二十歳は1817年だから、だいたい今から二百年前の歌ということになる。
歌の背景
ところで、1771年、いわゆる「明和の大津波」での黒島の被害はどうだったのだろう。
Wikipediaによると、「黒島 現・竹富町 男女二百九十三人、但、居村並公事ニ付石垣方ヘ罷渡溺死 / 家数八十五軒」
とあり、 大津波により黒島と、石垣島に居た黒島の人々の被害は293名とある。
別の資料も見てみよう。
(琉球大学理学部 中村衛研究室 1771年八重山地震津波(明和の大津波) より)
これによると、少し被害人数は異なるが、5mの津波が黒島には押し寄せて1119名のうち902名が亡くなり、そして100年後には438人にまで人口が減っている。
これは津波による塩害で飢饉や疫病が発生したこと、人頭税により島別けで石垣島などへの強制移住がおこなわれたためであろう。
その厳しい時代のさ中に生まれた歌と考えられる。
次回は本島の舞踊「松竹梅」につかわれる「黒島節」をとりあげる。
(2014年2月 黒島にて筆者撮影)
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黒島節 3
黒島節
くるしまぶし
kurushima bushi
◯黒島の歌
(歌詞は「安冨祖流地謡工工四 第一巻」を参考にした)
一、沈や伽羅灯す(スーリ)御座敷に出てぃ(ヨ スーリ)御座敷に出てぃ(スーリ)踊る我が袖ぬ(スーリ)匂いぬしゅらしゅらさ(ヨ スーリ)匂いぬしゅらしゅらさ(ヨ)
じんやちゃらとぅぶす(すーり)うざしちにんじてぃ(よ すーり)うざしちにんじてぃ(すーり)うどぅるわがすでぃぬ(すーり)にうぃぬしゅらしゅらさ(よ すーり)にうぃぬしゅらしゅらさ(よ)
jiN ya chara tubusu (suuri)'uzashichi ni 'Njiti (yoo suuri)'uzashichi ni 'Njiti (suuri)'uduru waga sudi nu (suuri)niwii nu shurashurasa (yoo suuri)niwii shurashurasa (yoo)
◯沈香や伽羅を焚いて、御座敷に出て踊ると私の袖がとても良い香りが立っている
語句・じんやちゃら 沈香や伽羅。沈香とは(じんこう)と読み、
東南アジアに生息するジンチョウゲ科ジンコウ木が「風雨や病気・害虫などによって自分の木部を侵されたとき、その防御策としてダメージ部の内部に樹脂を分泌、蓄積したものを乾燥させ、木部を削り取ったもの」(Wikipedia 「沈香」より)で、伽羅とはその中で品質の良いもの、高価なものをそう呼ぶ。・とぅぶす ともす。<とぅぶゆん ともる。の、とぅぶ+しゅん (する)→ともす。・しゅらしゅらさ <しゅらさん。しゅらしゃん。かわいらしい。愛しい。「〜さ」と体言止めにして「とても〜ことよ!」と感嘆表現。「しゅら・しゅらさ」と畳語(重ねて繰り返す表現法)になっているのは琉歌(八、八、八、六文字)で構成された歌が一番が上句(八、八)、二番が下句(八、六)となった時に、二番の文字数を補うために繰り返すことがある(例;安波節。二番で「どぅくる」→「どぅく、どぅくる」と歌う。)。
二、かねる御座敷に(スーリ)御側寄てぃ拝でぃ(ヨ スーリ)御側寄てぃ拝でぃ(ヨ )我胴やりば我胴い(スーリ)摘でぃどぅ見やび見やびる(ヨ スーリ)摘でぃどぅ見やび見やびる(ヨ)
かねるうざしちに(すーり)うすばゆてぃうがでぃ(よ すーり)うすばゆてぃうがでぃ(よ)わどぅやりばわどぅい(すーり)ちでぃどぅみやびみやびる(よ すーり)ちでぃどぅみやびみやびる(よ)
kaneeru 'uzashichi ni (suuri)'usuba yuti ugadi (yoo suuri)'usuba yuti ugadi (yoo)wadu yariba wadu i (suuri)chidi du miyabi miyabiru (yoo suuri)chidi du miyabi miyabiru (yoo)
◯こんな御座敷に来て貴方の御側にお寄りして 私は本当に私なのか、とつねってみるほどです
語句・かねる <かねる。こんな。このような。(「あねる」は、あんな。あのような。)・うがでぃ <うがぬん。「①(神仏を)拝む。②お会いする。お目にかかる。」「③見る('NNzun)の敬語」「④「貴人と・・・する」という意の敬語。?wiicee〜。お会いする。拝顔する。」【沖縄語辞典】とあるうち、ここでは単純に②ではなく④であろう。「寄てぃうがでぃ」を「寄って、お会いする」と訳すのはおかしい。「(貴方様に)お寄りして」と訳すのが妥当だろう。・わどぅやりばわどぅい <わどぅ。我が身。+やりば。であれば。+わどぅ(前掲)+い。疑問。〜なのか? 直訳すると「我が身であれば我が身か?」→「我が身は我が身なのか?」自分が自分なのかと疑うほどとまどうという意味。・ちでぃどぅみやびる つねってみるばかりです。<ちでぃ<ちぬん。つねる。+どぅ 強調。+みやびる。 みるばかりです。(参考;「孝行之巻」玉城朝薫作。「かにやる百果報や 夢やちやうも見だぬ わどやればわどゐ つでど見やべる」このような大きな幸福は夢にも見ない。我が身が我が身かとつねってみるばかりでございます。)【沖縄語辞典】
琉球舞踊の祝儀舞踊の一つ「松竹梅」の中にある「黒島節」をとりあげた。
この曲がいつ頃だれがつくったのかは不明だが、今まで取り上げた「黒島節」とは明らかに歌詞と曲が違う。
この踊りを創作したのは玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)。
「明治元年(1868~1945) 首里赤平生まれ。17歳で芝居に入り、後に名優となる。最後の御冠船踊りをつとめた師匠たちから組踊や舞踊を習い、古典の正統的な継承者であると同時に、雑踊りの創作に多くの功績を残した。作品には、「花風」「むんじゅる」「加那ヨー」「あやぐ」「松竹梅」などがある。」(Weblio 玉城盛重)
そして「松竹梅」は当初(揚竹田節、東里節、赤田花風節、黒島節、下原節、浮島節)だったが、後に「鶴亀」を加えて(揚竹田節、東里節、赤田花風節、鶴亀節、夜雨節、浮島節)の構成となり、鶴亀節と夜雨節が加わり、代わりに黒島節と下原節は消えている。
「松竹梅」、「松竹梅鶴亀」ともに今でも踊りつづけられている人気舞踊である。
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まんがにすっつぁ節
まんがにすっつぁ節
まんがにすっつぁ ぶすぃ
maNgani suqtsa bushï
◯本当に羨ましい
語句・まんがにすっつぁ 「本当に羨ましい。『マンガニ』[(発音省略)]は真金で、黄金と同じ意味であろう。」【石垣方言辞典】(宮城信勇)(以下【石辞】と略す)。「すっつぁ」は「羨ましい」の意味。この歌の題名において、表記が「すざ」「すぃざ」「そざ」などいろいろあるが、発音に近いと思われる「すっつぁ」とした。
一、宮里村まーりわーり( ティユイガンナーヨー)西表小松ゆ 欲しゃんど (ティユイナー マンガニ スッツァ ウヤマーリ ワーリ
みゃんざとぅむら まーりわーり (てぃゆがんなーよー)いりむてぃ くまちゆ ふしゃんどー (てぃゆいなー まんがに すっつぁ うやまーりわーり)
myaNzatu mura maari waari (tii yuigaNnaa yoo)'irimuti kumachi yu hushaN doo (tii yui naa maNgani suqtsa uyamaari waari)
(括弧の囃子言葉は以下略す)
◯黒島の宮里村廻って来られて 西表クマチを欲しいぞ
語句・みゃんざとぅ 竹富町黒島の昔の村の名称。黒島節を参照のこと。・まーりわーり 「まーり」で「周辺」や「めぐる」などの意味があるが【石辞】、「まーりわーり」では見当たらない。【精選八重山古典民謡集(三)當山善堂 編著】には黒島の方言として「わーり」(来られて)の解説がある。・いりむてぃ 西表家の。屋号。
二、仲本村まーりわーり 本原ンガイゆ 欲しゃんど
なかんとぅむら まーりわーり むとぅばらんがい ゆ ふしゃんど
nakaNtu mura maari waari mutubara Ngai yu hushaN doo
◯黒島の仲本村廻って来られて 本原ンガイを欲しいぞ
三、東筋村まーりわーり 高那ブナリゆ 欲しゃんど
ありしんむら まーりわーり たかなぶなり ゆ ふしゃんど
'arishiN mura maari waari takana bunari yu hushaN doo
◯黒島の東筋村廻って来られて高那ブナリを欲しいぞ
四、伊古村まーりわーり 屋良部マントゥゆ 欲しゃんど
いくむら まーりわーり やらぶまんとぅ ゆ ふしゃんど
'iku mura maari waari yarabu manntu yu hushaN doo
◯黒島の伊古村廻って来られて屋良部マントゥを欲しいぞ
五、保里村まーりわーり 前盛タマニゆ 欲しゃんど
ふりむら まーりわーり まいむりたまに ゆ ふしゃんど
huri mura maari waari maimuri tamani yu hushaN doo
◯黒島の保里村廻って来られて前盛タマニを欲しいぞ
六、保慶村まーりわーり 赤嶺クヅラゆ 欲しゃんど
ふきむら まーりわーり あかんにくづらゆ ふしゃんど
mura maari waari 'akaNni kuzura yu hushaN doo
◯黒島の保慶村廻って来られて赤嶺クヅィラを欲しいぞ
黒島節を追ってきた。
◯祝儀歌としての黒島節(正月ゆんた)。
◯元歌であろう黒島節。
◯本島の舞踊曲「松竹梅」にとりいれられた黒島節。
◯「まんがにすっつぁ節」としての「黒島節」。
「正月ゆんた」が「黒島節」と呼ばれ、元歌の黒島節は「まんがにすっつぁ節」として別の曲となって生きている、そう見える。
囃子の最後は「まんがにすっつぁ うやなーりわーり」という囃子でうたう歌詞もある。
「まんがにすっつぁ節」のyoutubeがあるので貼っておく。
石垣島の「いしゃなぎら青年文化発表会」。
若者たちが継承できる文化がある地域というのは素晴らしいと思う。
こうした文化が廃れている現状に憂うばかりだ。
(2014年2月 黒島にて筆者撮影)
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かたみ節 (八重山民謡)
かたみ節
かたみぶし
katami bushi
◯男女の契りの唄
語句・かたみ 「男女の契り。また、契りとして取りかわすもの」(【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】以下【沖辞】と略す。)
歌詞は「八重山古典民謡工工四上巻」(大濱安伴編著)を参考。
一、さてぃむ目出度や此ぬ御代に(さー)祝いぬ限りねらん
さてぃむ めでたや(みでぃた)や くぬ みゆに (さー)ゆわいぬ かぎりねらん
satimu medeta(midita) ya kunu miyu ni (saa) yuwai nu kaziri neeraN
◯さても めでたいこの御世に祝いの限りはないほどめでたい
語句・さてぃむ <さってぃむ。「さても。おやまあ。いやはや。珍しい場合・あきれた場合・深く感じた場合などにいう。」【沖辞】。さてぃ(さて)+む(強調)。・めでたや めでたいことよ! 「めでたい」は当然、沖縄語辞典にはない。「めでたい」と本島では歌うが、この読みは本土方言の影響。八重山の歌い方せは「みでぃたや」。・ゆわい これも本土方言の影響。沖縄語では、「お祝い」は「いうぇー」、「ゆーうぇー」、「ういうぇー」、「うゆうぇー」【沖辞】。・かぎり 限り。本島の「かたみ節」は「かじり」。・ねらん<neeraN ない。歌の中では短く「ねらん」という発音になる。
(囃子)あすびたぬしむに すり わんやかたみくいら ちとぅしまでぃん
あすびたぬしむに すり わんや かたみくぃら ちとぅしまでぃん
'ashubi tanushimu ni suri waN ya katami kuira chitushi madiN
◯遊ぶ楽しみに 私は形見をあげよう 千年までも(以下 囃子は略)
語句・かたみ ①男女の契り契りとして交わす物②死者、長い別れの人の形見。【沖辞】。ここではめでたい歌なので①。・くいら あげよう。【石垣方言辞典(宮城信勇)】を見ても、八重山では「くぃゆん」はなく、「ひーるん」「ひーん」があるだけである。この歌詞が本島方言で作られた可能性が大きい。「くぃゆん」の意味については「かたみ節(本島)」を参照。
ニ、一番願わば福禄寿 すぬふか無蔵とぅ連りてぃ
いちばん にがわば ふくるくじゅ すぬふか んぞとぅ ちりてぃ
'ichibaN nigawaba hukurukuju sunuhuka Nzo tu chiriti
◯一番願うならば 福禄寿 その他には貴女を連れ添って
語句・ふくるくじゅ 「福禄寿」の「福」は「幸福」、「禄」は「財産」、「寿」は「長寿」を意味する。Wikipediaには「福禄寿(ふくろくじゅ)は、七福神の一つ。道教で強く希求される3種の願い、すなわち幸福(現代日本語でいう漠然とした幸福全般のことではなく血のつながった実の子に恵まれること)、封禄(財産のこと)、長寿(単なる長生きではなく健康を伴う長寿)の三徳を具現化したものである。宋の道士・天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とされ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされることもある。 福禄人(ふくろくじん)とも言われる」
三、無蔵とぅ我んとぅやむとぅゆりぬ 契りぬ深さあたん
んぞとぅ わんとぅや むとぅゆりぬ ちぎりぬふかさあたん
Nzo tu waN tu ya mutu yuri nu chigiri nu hukasa 'ataN
◯貴女と私は昔からの契りの深いものがあったのだ
語句・むとぅ 「元。元来」「muutuと同じ」【沖辞】。「muutu」とは「元。本。みなもと。また、先祖」【沖辞】とあるように、ここでは「先祖」つまり「前世からの縁があった」と解釈するほうが自然だろう。・ちぎり 契り。本島かたみ節は「ちじり」。・あたん あった。'ataN('aNの過去形)。
四、百歳なるまでぃ肝一つ 変わるな 元ぬ心
ひゃくせ なるまでぃちむふぃとぅち かわるなむとぅぬくくる
hyakusee narumadi chimu hwituchi kawaruna mutu nu kukuru
◯百歳になるまで二人の心は一つだ 変わるな昔からの心
語句・せー 歳。大和口のsaiは変化してseeとなる。「さー」「さい」と歌っているものも多い。
八重山民謡にある「かたみ節」をとりあげた。
結婚式などのお祝いの席や、座開きで歌われることが多い祝儀歌。
2005年にこのブログとりあげた本島で歌われる「かたみ節」(「本島かたみ節」とここでは呼ぶ)の元歌である。
【実在したとされる「かたみ節」のモデル】
喜舍場永珣の「八重山島民謡誌」によると、
「当時琉球の馬艦船(マーランブニ)が風波の都合でこの久志間港に停泊した。この際何時しか久志間村の女と船乗りの男とは水も漏らさない慕しき仲となり、二世三世迄もと二人は深く契った。」
この様子を首里から派遣されていた役人の黒島英任が「かたみ節」にしたとある。
黒島英任が、1732年に平久保村に赴任してきたそうだから、だいたい280年前後ほど昔の歌ということになる。
これが本当なら、かたみ節には実在のモデルがいたことになる。
ちなみに、マーランブニとは山原船ともいい、当時の航海によく使われていた帆が二つある帆船である。
【八重山かたみ節と本島のそれとの違い】
いくつか語句の読みかたに若干の相違がある。
(八重山) (本島)
あすび ー あしび
くいら ー くぃら
ちぎり ー ちじり
一番の「めでた」を「みでぃた」とうたう八重山の流派もある。「安室流」。
三線の壺(つぼ、ちぶ)で「尺」の位置がちがう。
【かたみ節の生まれた土地】
石垣島の北部の平久保村と伊原間村との間には、昔「久志間」(くしま)という村が昔はあった。現在は廃村となっている。
現在はそのあたりを久宇良浜という。
▲狭い道をぬけると
280年ほど前にも、この浜にかたみ節のモデルとなった夫婦がきているかもしれない。
いや、いまでもひょっこりでてくるのでは?
とロマンチックな気持ちにさせる美しい浜辺だった。
(2014年2月に筆者撮影)
本島で歌われる「かたみ節」はこちら。
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