石くびり
いしくびり
'ishi kubiri
〇石の小坂
語句・くびり <小坂(ひら)
作詞 大浜方叶 作曲 石原節子
一、恋路連りなさやままならん世間に 無蔵が云言葉の肝にかかてぃ 肝にかかてぃ
くいじちりなさや ままならんしけに んぞがいくとぅばぬちむにかかてぃ(ちむにかかてぃ)
kuiji chirinasa ya mamanaraN shike ni Nzo ga 'ikutuba nu chimu ni kakati chimu ni kakati(繰り返し以下省略)
〇恋の道はつれない 思うようにならないこの世 貴女の言葉が心に残って
二、忘らていやしが 肝に思染みてぃ 思切りんならん 我肝病むさ
わしらていやしが ちむにうみすみてぃ うみちりんならん わちむやむさ
washiratei yashi ga chimu ni 'umi sumiti 'umichiriN naraN wa chimu yamu sa
〇忘れようとか思うが心に思い染めてしまってあきらめることができない 私の心病むようだよ
語句・てい 「てぃやい」ともいう。文語では「てぃやり」。「・・といって」「とか」「・・と」・うみちり あきらめる。<思い+切る。
三、無蔵が顔見りば 恋しさや勝てぃ 焦がりゆる肝や 誰に呉ゆが
んぞがかうみりば くいしさやまさてぃ くがりゆるちむや たるにくぃゆが
Nzo ga kau
〇貴女の顔見ると恋しさが強くなって焦がれる心は誰にうちあけたらいいのか
語句・かう 顔。ちなみに「口語はcira;敬語はmjunciなど」【琉辞】。・くぃゆが 直訳では「あげるか」「やるか」。ちなみにウチナーグチでは「やる」「もらう」の区別なく「くぃゆん」を使うので、どちらかは文脈から判断する。ここでは「焦がれる心誰にうちあけるか」とした。
四、村ぬ石小坂 我一人どぅ行じゃる 互にかながなとぅ登てぃみぶしゃ
むらぬいしくびり わんちゅいどんじゃる たげにかながなとぅ ぬぶてぃみぶしゃ
〇村の石の小坂 私一人だけで行く お互い仲良く登ってみたいものだ
語句・んじゃる <いちゅん 'ichuN 行く の 連体形。「どぅ」の係り結びで連体形になっている。「どぅ」は「だけ」と訳すとフィットする場合が多い。・かながなとぅ 「仲良く、睦まじく」【琉辞】。<かながなーとぅ と会話では使う。
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石くびり
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はじうすい坂
はじうすい坂
はじうすいびら
hajiusui bira
語句・はじうすいびら 東村の有銘にある坂の名前。隣村同士の男女が誤解のすえに自殺した場所とされる。「はじうすい」とは「恥」を「覆う」(うすゆん。うすいん)から来ている。
作詞;仲宗根幸市 作詞;普久原恒勇 唄;山里ユキ
(連ね)野山越ぃる道や幾里ひじゃみてぃん 闇にただ一人忍でぃ行ちゅん
(ちらに) ぬやまくぃるみちや いくりふぃじゃみてぃん やみにただふぃちゅいしぬでぃいちゅん
(chirani) nuyama kwiru michi ya 'ikuri hwijamitiN yami ni tada hwichui shinudi 'ichuN
〇野山を越える道は何里離れていても闇の中ただ一人で忍んで行く
語句・くぃる 越える。 ・ふぃじゃみてぃん 隔てていても。<ふぃじゃみゆん 離れる。
源河山脇に あたら花散らち 一道なてぃ結ぶ 二人が情き
じんかやまわちに あたらはなちらち ちゅみちなてぃむしぶ たいがなさき
jiNka yama wachi ni 'atara hana chirachi chumichi nati mushibu tai ga nasaki
〇源河の山脇に一度しか咲かない花を散らして 一つの道になって結ばれる二人の愛
語句・じんか 名護市羽地村の源河。<じんかー。・あたら 「もったいない」「大切な」<あたらさん。 また、あったら。とも。 九州、宮崎でも「もったいない」ことを「あったれー」という。「新しい」とは違う。
哀り露果てぃてぃ 肌染だる所 道歩む人ぬ 枝小覆すてぃ
あわりちゆはてぃてぃ はだすだるとぅくる みちあゆむふぃとぅぬ いぇだぐゎうすてぃ
'awari chiyu hatiti hada sudaru tukuru chi 'ayuu hwitu nu yeda gwa 'usuti
〇哀れにも露のように命果てて ここは二人が肌を染めたところ 道歩む人は枝で覆う所
語句・うすてぃ<うすゆん。「かぶせる」「おさえる」など。
はじうすい坂に 咲ちゅる二人が花 一期いちまでぃん 沙汰ゆ残ち
はじうすいびらに さちゅるたいがはな いちぐいちまでぃん さたゆぬくち
hajiusui bira ni sacharu tai ga hana 'ichigu 'ichimadiN sata yu nukuchi
〇はじうすい坂に咲いている二人の花 いつまでも後世に噂を残して
語句・さた うわさ。・ゆ を。文語表現。口語では目的格の助詞がない。
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想いションガネー
想いションガネー
うむいしょんがねー
'umi shoNganee
〇想い「ションガネー」(歌の名前)
語句・しょんがねー 「与那国ションガネー」、「遊びションガネー」を参照。
作詞・作曲 前川守賢 歌 饒辺勝子
一、かんしうむいぬすんくまれ 想いぬたきん語らんむん 我が落てぃ着ちゅみ 胸内や 逢ちゃてぃ晴りらなくぬ想い ※しゅらよー想いションガネー
かんしうむいぬすんくまれ うむいぬたきんかたらんむん わがうてぃちちゅみ んにうちや いちゃてぃはりらなくぬうむい しゅらよーうむいしょんがねー
kaNshi 'umui nu suNkumaree 'umui nu takiN kataraNmuN waga 'utichichumi Nni'uchi ya 'ichati katarana kunu 'umui shurayoo 'umi shoNkanee
〇こんな思いのすむまで思いのたけを語りたいもの 私落ち着けるかしら?胸の内をあの人に出会って晴らしたいなこの思い 愛しい人よ!貴方を想ってションガネー
語句・かんし こんな。・しゅらよー いとしい人よ! 囃子言葉でもある。
二、一足ん早みてぃ逢ちゃらなや あぬ森越てぃ行ちどぅんしぇー うんじゅが居める島やしが 思いるぐとぉ逢ちゃららん ※(くりかえしー以下省略)
ちゅひさんはやみてぃいちゃらなや あぬむいくぃてぃいちどぅんしぇー うんじゃがいめるしまやしが うむいるぐといちゃららん
chuhwisaN hayamiti 'icharana ya 'anu mui kwiti 'ichiduNshee 'unju ga 'imeeru shima yashiga 'umuirugutoo 'ichararaN
〇一足でも早く会いたいよ あの山越えて行けば貴方がいる村だけど 思っているから会えないの
語句・ちゅひさ <ちゅ 一つ+ひさ 足。 ・むい 山。沖縄ではあまり高い山がないため山や丘を「森」(むい)ということが多い。盛り上がった所、の意味。 ・うむいるぐと <うむい 思い。+る<どぅ こそ。+ぐとー<くとぅ+や から。(「や」は強調) → 思っているからこそ。
三、ぬがよ淋しさしじららん ぬがよ凪々肝凪りてぃ忍び忍どぉてぃ里御側 闇路通わす恋無情 ※(くりかえし)
ぬがよ さびしさしじららん ぬがよ とぅりどぅり ちむどぅりてぃ しぬびしぬびどーてぃ さとぅうすば やみじかゆわす くいむじょー
nu ga yo sabishisa shijiraraN nu ga yo turiduri chimuduriti shinubi shinubidooti satu 'usuba yamiji kayuwasu kui mujoo
〇どうして寂しさ耐えられない どうして凪の度に心なごんで 忍んで忍んで貴方のお側へ闇路を通わす恋の無情さよ
語句・ぬがよ どうして?。 ・しじららん 耐えられない。<しじゆん。耐える。 ・とぅりどぅり 凪(なぎ)。海上の風がやむ時。畳語(じょうご、語句を繰り返すこと。日々、とか
時々とか。)で、凪のたびに、くらいの意味。・とぅりてぃ 「凪」の当て字があるが心なごむの意味。<とぅりゆん 「凪。(心が)なごむ。」【琉辞】。
四、顔や笑らてぃん雨嵐 我胴にふぃしふぃし吹く風や行く先知らん舟心 着く方求みてぃ漕ぐばかい ※(2回くりかえし)
かうやわらてぃんあみあらし わどぅにふぃしふぃしふくかじや いくさちしらんふにぐくる ちくかたむとぅみてぃくぐばかい
kau ya waratiN 'ami'arashi wadu ni hwishihwishi huku kaji ya 'ikusachi shiraN huni gukuru chiku kata mutumiti kugu bakai
〇顔は笑っていても雨嵐のようにわが身にひしひしと吹く風で まるで私は行く先知らない船のよう 着く所を探して漕ぐばかり
語句・・わどぅ わが身。<わー 私。+ どぅー(胴) 体。・ぐくる <くくる。琉歌では「・・のように」「たとえると」の意味でつかわれることが多い。 ここでは「船のよう」。
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高離り節
高離り節
たかはなりぶし
takahanari bushi
〇高離り島(宮城島)の歌
語句・たかはなり 高離り島は現在の宮城島。
(民謡)
一、高離り(シタリヌ ヨーンゾ)島や(ハリ)物知らし所 な物知や(シタリヌ ヨーンゾ)びたん (ハリ)渡ちたぼり(ハーイヤ マタ シタリヌ ヨーンゾ)
たかはなり(したりぬよーんぞ)しまや(はり)むぬしらしどぅくる なむぬしや(したりぬよーんぞ)びたん (はり)わたちたぼり(はーいやまた したりぬよーんぞ)
takahanari(shitarinu yoo Nzo)shima ya (hari)munu shirashi dukuru naa munu shiya(shitarinu yoo Nzo)bitaN (hari)watachitabori (haa'iya mata shitari nu yoo Nzo)
(以下囃子言葉は省略)
〇高離り島(現在の宮城島)はものを教える所 もう悟りましたから島を渡らせてください
二、霞立つ山や 梅ぬ花盛い 風に誘わりてぃ 匂いぬしゅうらしゃ
かすみたつやまや んみぬはなざかい かじにさすわりてぃ にうぃぬしゅらさ
kasumi tatu yama ya Nmi nu hanazakai kaji ni sasuwariti niwi nu shurasa
〇霞がたつ山は梅の花が満開 風に誘われて匂いが愛しい!
語句・しゅらさ いとしい。<しゅーらーさん かわいらしい。
三、今日は行逢拝でぃ 色々ぬ遊び 明日や面影ぬ 立ちゆとぅ思ば
きゆやいちぇうがでぃ いるいるぬあしび あちゃやむぬかじぬ たちゆとぅみば
kiyu ya 'icheugadi 'iruiru nu 'ashibi 'asha ya 'umukaji nu tachi yu tu mi ba
〇今日はあなたとお会いして色々と遊びましたね 明日は面影が立つのだと思うと(さびしい)
四、押す風ん涼さ でぃちゃよ押し連りてぃ さやか照る月ぬ陰に遊ば
うすかじんしださ でぃちゃようしちりてぃ さやかてぃるちちぬかじにあしば
'usu kajiN shidasa dicha yo 'uchichiriti sayaka tiru chichi nu kaji ni 'ashiba
〇そよ風も涼しいよ さあ一緒に連れだってさやか照る月の陰で遊ぼうよ
語句・うすかじ そよ風。 ・でぃちゃさあ。
五、でぃちゃよ押し連りてぃ 眺みやい遊ば 今日や名に立ちゅる十五夜でむぬ
でぃちゃようしちりてぃ ながみやいあしば きゆやなちたちゅる じゅうぐやでむぬ
dicha yo 'ushichiriti nagami yai 'ashiba kiyu ya na ni tachuru juguya demunu
〇さあ連れ立って月を眺めたりして遊ぼうよ 今日は有名な十五夜なのだから
語句・なにたちゅる 有名な。
(舞踊)
上記一、二に加え
御主加那志奉公い 夜昼んさびん あまん世ぬしぬぐ 御許しゆ召り
うしゅがなしめでい ゆるひるんさびん あまんゆぬしぬぐ うゆるしゅみしょり
'ushuganashi medei yuru hiruN sabiiN 'amaN yu nu shinugu 'uyurushumishoori
〇首里の王様へのご奉公を夜も昼もいたしますので あそこの世のお祈りをお許しください
語句・めでい 「美公事」「王府へのご奉公、出仕、宮仕え、公務」【琉球語辞典】。・しぬぐ 「【<〔おもろ語〕シノグル〔踊る〕】シヌグ〔神前でくりひろげられた踊〕」【琉球語辞典】。一時、王府によって取り締まられた。
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中城はんため節
中城はんため節
なかぐしくはんためーぶし
nakagusiku haNtamee bushi
〇中城はんた前(地名)の歌
語句・なかぐしくはんためー 久米島の地名。「東恩納寛惇氏の南島風土紀には『比屋定字から宇江城字の小字、山田原にかけてのはんた溝附近のことである』とある」(「琉歌大観」島袋盛敏)。「はんた」は「端[はし];崖(のふち)」【琉辞】。
飛びたちゅる蝶 まづよ待て連れら 花のもと我身や 知らぬあもの
とぅびたちゅるはびる まじゆまてぃちりら はなぬむとぅわんや しらんあむぬ
tubitachuru habiru majiyu mati chirira hana nu mutu waN ya shiraN 'amunu
〇飛び立つ蝶よ ちょっと待って私を連れて行ってほしい 花ぬもと(遊郭)を私はしらないのだから
語句・はびる 蝶。美しい蝶。現在は「はべる」haberuというが、「古語ではhabiru habiraとも」【琉辞】。・まじゆ まじ 「先ず(始めに);暫く」【琉辞】+ ゆ よ(強意)。・ちりら <ちりゆん 連れる の未然形。連れて行こう。直訳すると「私を連れて行こう」→私を連れていってほしい。・はなぬむとぅ 遊郭。「花」は「美しい[華やかな]こと;〔‘物言う花’すなわち〕美人、遊女」【琉辞】。つまり遊郭、色街のことを表すことが多い。・あむぬ あ<あん ある。+ むぬ であるから。だから。
【原歌】
はんた前の下り溝割てどよこす 三十ませ三ませ真水こめて
はんためぬくだりみんじゅわてぃどぅゆくす さんじゅますみますまみじくみてぃ
haNtamee nu kudari Nju wati du yukusu maNju mashi mimashi miji kumiti
〇はんた前の傾斜地に溝を割って(水を)流し込む (三十と三の)たくさんの田んぼに真水をためて
【屋嘉比工工四】
中城ハンタマブシ
月ん照り美さ花ん匂しほらしゃ おそ風んすだしゃ出て遊ば
ちちんてぃりじゅらさ はなんにうぃしゅらさ うすかじんしだしゃ んじてぃあしば
chichiN tirijurasa hanaN niwi shurasa 'usukajiN shidasha 'Njitu 'ashiba
〇月も照って美しい 花も匂いがかわいい そよ風も涼しい 外に出て遊ぼう
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束辺名口説
ちかひな口説
ちかひなくどぅち
chikahina kuduchi
〇束辺名(按司の名)の口説
語句・ちかひな 現在は糸満市の中の喜屋武村にあった「束辺名」(つかへな)。現在は「束里」(つかざと)と呼ばれるところに居た按司の名前。組踊りに「束辺名夜討」がある。
歌 嘉手苅林昌
たとぅい年取てぃ七、八十なてぃん主人ぬ敵仇 許ちいたじら死なりゆみ
たとぅいとぅしとぅてぃしちはちじゅーなてぃんすじんぬてぃちかたち ゆるしいたらじらしなりゆみ
tatui tushituti shichi hachijuu natiN sujiN nu tichikatachi yurushi 'itaraji shinariyumi
〇たとえ歳を取って七、八十になっても主人の敵仇を許し無駄に死なれようか
語句・いたじら 無駄に。徒(いたずら)に。「いたずら」ではない。
一人命ぬある限り いさみいさみとぅちかひなが 首ゆ討ち取てぃ祭らんとぅ
ふぃちゅいぬちぬあるかじり いさみいさみとぅちかひなが くびゆうちとぅてぃまちらんとぅ
hwichui nuchi nu 'aru kajiri 'isami 'isami tu chikahina ga kubi yu 'uchituti machiraNtu
〇一人の命がある限り いさめよいさめよと束辺名の首を討ち取って(主人に)奉りたいと
語句・いさみいさみとぅ 「勇み」と「諌み」の両方の意味に取れるが、ここでは「諌める」(いさめる)、主人への報復として「いさめよ」(あやまちを正す)。
思い果たす心ゆば 神ん仏ん知りみそち 引ちゆ合わしてぃたぼりてい
うむいはたすぬくくるゆば かみんふとぅきんしりみそち ふぃちゆあわしてぃたぼりてい
'umi hatasu nu kukuru yu ba kamiN hutukiN shirimisochi hwichi yu 'awashiti taboriteei
〇思い果たすという心をこそ 神も仏もお知りください どうぞ仇に引き合わせてくださいと
語句・ゆば ゆ 目的格の「を」にあたる文語。+ば。強調。・てい といって。
いざやいざやとぅ立ち出じてぃ あゆみあゆみとぅ真玉橋 しばし御城にうちかんてぃ
いざやいざやとうたちんじてぃ あゆみあゆみとぅまだんばし しばしうしるにうちんかてぃ
'iza ya 'iza ya tu tachi 'Njitu 'ayumi 'ayumi tu madaNbashi shibashi 'usiru ni 'uchikaNti
〇いざ!いざ!と出て行って 歩け歩けと真玉橋 すこし御城に向かって
語句・まだんばし 現在の豊見城市にある国場川にかかる橋。
見りばなちかし住みなりし元ぬ城ん情きねん無情ぬ嵐にふちちりてぃ
みりばなちかしすみなりし むとぅぬぐしくんなさきねん むじょーぬあらしにふちちりてぃ
miriba nachikashi suminarishi mutu nu gushikuN nasaki neeN mujo nu 'arashi ni huchi chiriti
〇見ると悲しや 馴染んだ昔の御城は情けもない無情の嵐に吹き荒れて
語句・なちかし 悲しいことに。「懐かしい」ではない。
思みば腹立ちやしまらん 敵とぅまくらや一ちしてぃ エイ 死なば極楽さんとぅ思てぃ 思いちわみてぃあゆみ行く
うみばはらたちやしまらん てぃちとぅまくらやてぃーちしてぃ えい しなばぐくらくさんとぅむてぃうむいちわみてぃあゆみいく
'umi ba haradachi yashimaraN tichi tu makura ya tiichi shiti yei shinaba gukuraku saN tumuti 'umui chiwamiti 'ayumi 'iku
〇思えば腹立ちがやすまらない 敵と枕を一つにしてでも 死ねば極楽だと思って 思い極めて歩んでいく
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銭節
銭節
じんぶし
jiN bushi
〇銭の歌
作詞 比嘉カマド 作曲 普久原恒勇
一、銭雨ぬ文化 我が島にいもちヨ みるく世ぬ印 かにん嬉さヨ
じんあみぬぶんか わがしまにいもちヨ みるくゆぬしるし かにんうりさヨ
jiN 'ami nu buNka waga shima ni 'imochi yoo miruku yuu nu shirushi kaniN 'urisa yoo
〇お金の雨がふるような文化わが島にいらっしゃって 五穀豊穣の世の予感 こんなにも嬉しいことよ!
語句・いもち いらっしゃって。<いもーち<もーち<もーゆん 「行き・来・居りの意の尊敬語」【琉辞】。・みるくゆー 弥勒菩薩がもたらす平和の世。沖縄の「弥勒信仰」がもたらす理想世界。五穀豊穣。平和。・かにん かに かように+ん も。
二、豊か過ぎたる我が沖縄 何ぬ不足ねらんヨ 人ぬ肝心 ちんと一ち不足ヨ
ゆたかすぎたるわがうちなー ぬーぬふすくねらんヨ ひとぅぬちむぐくる ちんとぅてぃーちふすくヨ
yutaka sugitaru waga 'uchinaa nuu nu husuku neraN yoo hitu nu chimugukuru chiN tu tiichi husuku yoo
〇豊かさを謳歌するわが沖縄 何の不足もない (でも)人の真心 ちょうどひとつ不足してるが
語句・ちんとぅぴったり。ちょうど。
三、我した島沖縄 情うちなびくヨ 志情ぬあまてぃ 銭になびちなびちヨ
わしたしまうちなー なさきうちなびくよー しなさきぬあまてぃ じんになびちなびちよー
washita shima 'uchinaa nasaki 'uchinabiku yoo shinasaki nu 'amati jiN ni nabichi nabichi yoo
〇私たちの沖縄 情けがなびく 志情けが余ってお金になびいてなびいてる
四、銭のー友までぃ切りゆしが 銭しどぅ情んちきらりる 世ぬ変わてぃん人ぬ変わてぃん 銭のー変わらん銭がなし
じんのーどぅしまでぃちりゆしが じんしどぅなさきんちきらりる ゆーぬかわてぃんひとぅぬかわてぃん じのーかわらんじんがなし
jiN noo dushi madi chiriyushi ga jiN shi du nasakiN chikirariru yuu nu kawatiN hitu nu kawatiN jinoo kawaraN jiNganashi
〇お金で友人を失うこともあるがお金だけが情けをつけることもある 世が変わり人が変わってもお金は変わらない お金様
語句・のー ぬ が。+や は。・ちきらりる つけることができる。<ちきゆん つける。・じのー 最後の文字が「ん」で終わる単語に「や」が付くと、「ん」の前の語句+「のー」となる。(例)さんしのー;「三線は」。さんしん+や→さんしのー。・じんがなし お金様。じん お金。+がなし<かなし 愛しい。「首里の王様」を「しゅいてぃんがなし」という時の「がなし」である。
五、働ち儲きし人ぬ道 銭し銭儲き欲ぬ道 儲きてぃ笑ゆる人ぬ居らば 出ぢゃち泣く人居るたみし
はたらちもーきしひとぅぬみち じんじもーき ゆくぬみち もーきてぃわらゆるひとぅぬうらば んぢゃちなくひとぅうるたみし
hatarachi mookichi hitu nu michi jiN shi mooki yuku nu michi mookiti warayuru hitu nu uraba 'Nzyachi naku hitu urutamishi
〇働いて儲けるのが人の道 お金でお金を儲けるの(ギャンブル)は欲の道 儲けて笑える人がいれば 出て行って泣く人もいるのが道理
語句・たみし 前例。道理。
六、銭ぬんふどぅふどぅに 志情んふどぅふどぅに人やただ誠 銭たぶらやか胴たぶり
じんぬんふどぅふどぅに しなさきんふどぅふどぅに ひとぅやただまくとぅ じんたぶらやかどぅーたぶり
jiN nuN hudu hudu ni shinasakiN hudu hudu ni hitu ya tada makutu jiN tabura yaka du tabiri
〇お金もほどほどに 志情けもほどほどに 人はただ誠実さが大事 お金ためるより体を休めなさい
語句・たぶら ためる。<たぶゆん ためる。 。やかより。・どぅーたぶり <どぅーたぶゆん 体をいたわること。命令形。
七、戦世んしまち 平和世ん終わてぃヨ やがてぃ変わる後ぬ世ん 銭ぬ浮世どぅやいびがや またんあわりどぅさびいがや 銭のー良いむんぬやなむんや
いくさゆーんしまち へいわゆーうわてぃよ やがてぃかわるあとぅぬゆーん じんぬうちゆどぅやいびーがやー またんあわりどぅさびーがやー じのーゐいむんぬやなむんやー
'ikusa yuuN shimachi heiwa yuu 'uwati yoo yagati kawaru 'atu nu yuuN jiN nu 'uchiyu du yaibiiga yaa mataN 'awari du sabiiga yaa jinoo yii muN nu yanamuN ya
〇戦の世に生きて平和世も終わってやがて変わる将来の世もお金の浮世なのでしょうかねえ またも悲しいことがあるのでしょうかねえ お金は良いものであり嫌なものである
語句・しまち 住んで。<しまゆん 住まう。住む。
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久米阿嘉節
久米阿嘉節
くみあかぶし
kumi 'aka bushi
〇久米島の阿嘉(地名)の唄
語句・くみ 久米島は那覇から西に100キロほどの東シナ海に浮かぶ周囲48キロの島。久米島は「くみじま」と読む。・あか 久米島にある地名。阿嘉部落。
一、阿嘉ぬひじ水や 上んかいどぅ吹ちゅる ユイサーユイ かまど小が肝や 上い下い ウネスーリ ユイサーユイ
あかぬひじみじや うぃんかいどぅふちゅる ゆいさーゆい かまどぅぐゎがちむや ぬぶいくだい うねすーり ゆいさーゆい
'aka nu h(w)iji miji ya 'wii Nkai du huchuru (yui saa yui) kamadu gwaa ga chimu ya nubui kudai ('une suuri yui saa yui)
※以下括弧の囃子言葉は省略
〇阿嘉の滝水は上に吹き上がる カマドの心は上がったり下がったり揺れている
語句・ひじみじ 滝の水。「滝」は「だち」だが、「ひじ」(または「ふぃじ」)は「髭」(ひげ)の事。滝の流れる水が「ヒゲ」のようだからそう呼ばれるのか。・かまどぅ女性の名前。伝承に「阿嘉村のカラント屋のカマドゥ」という女性がいて、番所の役人や村の青年の二人のあいだで心が揺れていたことを唄にしたものといわれている。・うぃんかい 上に。この滝の水は落下するまでに風にあおられて、下から上に吹き上げる現象がみられることから。
二、阿嘉黒石波や打ち重びかさび からんととぅ謝名堂御衣ぬ重び
あかぐるしなみやうちかさびかさび からんととぅじゃなどーうしゅぬかさび
'akagurushi nami ya 'uchikasabikasabi karantoo tu jahanadoo 'ushu nu kasabi
〇阿嘉の黒石波は幾重にも重なっているように からんと(カマド小)と謝名堂(地名)のお着物は重なっている(愛し合っている)
語句・からんと カマド小の屋号。・じゃなどー伝承では一人の青年をあらわす場合と番所の役人の出身地をあらわす場合がある。・うしゅぬかさび 直訳すれば「お着物が重なって」。お互いに愛し合っているという表現。
三、クフィン小ぬう酒 ゆらてぃ呑みなりてぃ 明日や面影ぬ立ちゅとみば
くふぃんぐゎぬうさき ゆらてぃぬみなりてぃ あちゃやうむかじぬたちゅとぅみば
kuhwiN gwa nu 'usaki yurati numinariti 'acha ya 'umukaji nu tachu tumiba
〇こんな少ないお酒でも寄り合って呑む習いであって 明日は面影がたつと思うから
語句・くふぃんぐゎ 少ない。<くー 少ない+ふぃん くらい。+ぐゎー 強意。ほんの。・とぅみば と思うから。と思うと。<とぅ と。+ うみば→短縮 みば。
歌詞は「島うた紀行」」(仲宗根幸市著)を参考。
久米島民謡。
本島では「久米阿嘉節」と呼ばれることが多いが、地元では「阿嘉から節」「阿嘉ぬ髭小(ひじぐゎ)節」と呼ばれる。
久米島の阿嘉部落に伝わる伝承ではカラント屋(屋号)のカマドゥ小という娘に青年達が言い寄るが、彼女は二人の男性との恋に心が揺れていたという話である。
「島うた紀行」(仲宗根幸市著)によるといくつかの伝承がある。
1、二人の男性とは、間切番所の書記をしている役人。もう一人は謝名堂部落の青年。
2、番所の役人(謝名堂出身)にカマドゥと別の女性カマーが惚れて、カマドゥ小は病気になり医者やユタも効果がなかった。
3、カマドゥにはいい名づけの青年がいたが、謝名という役人につれられて首里へ一方男性は自害した。
3番は汀間とぅ節とそっくりの設定。
ちなみに三番は「島うた紀行」には以下の歌詞になっている。
クフィン小ぬう酒 わらてぃ呑みならてぃ まさてぃ面影ぬたちゅらとぅみば
〇少ないお酒も笑って呑みのが習いで 強く面影がたつだろうと思うから
音源は徳原清文氏のCD「琉球民謡 徳原清文の世界」にある。
囃子言葉と、その入れ方で若干違いがある。
「ユイサーユイ」を入れずに、最後に「ウネスーリ」を一回入れる。
2012年10月28日に久米島を訪れた。
そこで見た阿嘉のひじ水と、歌碑。
▼ひじ水。
昔は大量の水が落ち、北風にあおられて下までは落ちなかったと乗ったタクシーの運転手さんに教えられた。
↧
黒石森城節
黒石森城節
くるしむいぐしくぶし
kurushi mui gushiku bushi
〇黒石森城の歌
語句・くるしむいぐしく 久米島にあり、航海安全を願う聖地の名前。
一、黒石森ヨ城風ぬむとぅでむぬ シタリ明日になる御風 今日にたぼり ササカリユシド
くるしむいよぐしく かじぬむとぅでむぬ したり あちゃになるみかじ きゆにたぼり ささかりゆしど
kurushimui(yo)gushiku nu mutu demunu (shitari) 'acha ni naru mikaji kiyu ni tabori (sasa kariyushi doo)
※以下囃子言葉は省略。
〇黒石森城は風の元(よい風を送る場所)であるから 明日吹く順風を今日に吹かせてください
語句・したり 囃子言葉。意味は「よくやった!でかした!」「ほらやった!」【琉辞】。・でむぬ …だから。…なので。「旧かな‘で[だい]もの’;d(u)+ja〔<jan〕+munu」【琉球語辞典】(注:琉球語辞典では「ja」は「ya」。)つまり強調の「どぅ」+は。「や」+もの「munu」。ささかりゆしど 囃子言葉。意味は「ささ 航海は安全だぞ」。「かりゆし」は「めでたい〔縁起の良い〕こと」。「嘉[佳]例吉[かれよし]」【琉辞】。航海の安全を願う古い呪術用語だといわれている。「かりゆし」と言葉を発することで「良い縁起」を招くと信じられていた。短縮して「かりー」ともいう。
二、先見りば港 後見りば御風 くりふどぬ御風 今度はじみ
さちみりばんなとぅ あとぅみりばみかじ くりふどぅぬみかじ くんどぅはじみ
sachi miriba Nnatu 'atu miriba mikaji kuruhudu nu mikaji kuNdu hajimi
〇前をみると港 後ろを見れば順風 これほどの順風は今回がはじめてだ
三、今日や真謝泊 明日や那覇港 あさてぃ首里登てぃ按司主拝ま
きゆやまじゃどぅまい あちゃやなふぁんなとぅ しゅいぬぶてぃあじしゅうがま
kiyu ya majadumai 'acha ya nahwa Nnatu shui nubuti 'ajishu 'ugama
〇今日は久米島の真謝泊(地名)明日は那覇港 あさっては首里に上って按司様にお会いしよう
語句・まじゃどぅまい 久米島の港、現在は真謝港。・あじ 「もと地方各地に城を構えて割拠した支配者;15世紀末の中央集権化以降、王子の次、親方[weekata]の上にあたる位階名。」【琉辞】。
前回に続いて久米島の民謡をとりあげた。
音源はこれも前回と同じ徳原清文氏の「琉球民謡 徳原清文の世界」
参考にした「島うた紀行」(仲宗根幸市)には
「久米島と那覇を往来する航海祈願の旅歌。古典調の難曲。古くは三線伴奏のともなわない素歌(すうた)であったようだ。ウスデーク歌にその源流を求めることができそうである」
私事であるが久米島にはまだ行ったことがなく、この歌を聴いてからいつか是非訪れてみたい場所のひとつになった。
これを書いてから、2012年10月28日に久米島へ。
レンタカーを借りて島を回って黒石森城を探した。
道を歩く方に聞きつつ、地図を見ながら、くねくねの山道に。
松が鬱蒼としげる高台の上に、黒い岩が海を眺めるように突き出ている。
この辺りだ。
台風で倒木がひどく、道の半分が通行出来ないところで、もう引き返そうか、と思ったが歌碑がない、もう少し、と車を進めるとあった。
感無量。
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いぬひな節
いぬひな節
いぬひなぶし
'inuhina bushi
〇いぬひな(久米島の地名)の歌
語句・いぬひな 「字具志川の原名」(「島うた紀行」)
一、いぬひなぬはんた鷲ぬ舞いどぅくる 里が舞いどぅくる 玉津真胸
いぬひなぬはんたわしぬまいどぅくる さとぅがまいどぅくる たまちまむに
'inuhina nu haNta washi nu maidukuru satu ga maidukuru tamachi mamuni
〇いぬひなの崖は鷲が舞う所 貴方が舞う所は玉津(人名)の胸
語句・はんた 「端[はし];崖(のふち)」【琉球語辞典】。・まむに 「胸」は「んに」であるが、ここでは「むに」。「ま」は強調の意だろう。
二、池ぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじゅらが一本 久葉ぬ三本
いちぬいびがなし だんじゅとぅゆまりる ゆゆじらがちゅむとぅ くばぬみむとぅ
'ichi nu 'ibiganashi daNju tuyumariru yuyujura ga chu mutu kuba nu mimutu
〇愛しい池のイベよ 断然よく知られている クロツグが一本 久葉が三本
語句・いび 池の名前。・がなし<かなし 愛しい。「首里天がなし」など尊敬する者、愛する者へにつける。・だんじゅ「げにこそ、いかにも、なるほど」【琉辞】。・とぅゆまりる <とぅゆまりゆん 「世の評判になる」【琉辞】。<とぅゆぬん 「音に聞える」【琉辞】。・ゆゆじゅら クロツグ。沖縄方言で「マーニ」。
三、久葉ぬ若くばがみけに 浮上がりば 肝ぬふり者や我無蔵とぅ思てぃ
くばぬわかくばがみけに うちゃがりば ちむぬふりむんや わんぞとぅむてぃ
kuba nu waka kuba ga mike ni 'uchagariba chimu nu hurimuN ya wa Nzo tu muti
〇久葉の若い久葉が「みけ」(不詳)に浮き上がれば 恋に気がふれたような者は自分の恋人かと思って
語句・みけ 「島うた紀行」では「不詳。三回の意か」とある。・ふりむん 「(何かに心奪われた粋狂な)馬鹿(者)」【琉辞】。
久米島の歌を続けている。
「いぬひな節」は久米島の字具志川の原名(いぬひな)で生まれたといわれている。
音源は「久米島の歌全集(古謡から新作まで)」(マルフク)。
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久米はんため節
久米はんため節
くみはんためぶし(くめはんためぶし)
kumi haNtame bushi(kume haNtame bushi)
◯ 久米の坂の前の歌
久米ぬ五葉ぬ松 下枝ぬ枕 思童無蔵や 我腕枕
くみぬぐゆぬまち したゐだぬまくら うみわらびんぞや わうでぃまくら
kumi nu guyu nu machi shita yida numakura 'umiwarabi Nzo ya wa'udi makura
◯ 久米島の五枝の松は 下枝が枕のようで 私の愛しい彼女に私の腕枕をしているようだ
語句・ぐゆぬまち 久米島の北西部、字上江洲にある名木が「五葉松」(ぐゆーぬまち)と呼ばれる。
▲久米島、字上江洲にある銘木と歌碑。(撮影 筆者。2012年10月28日)
幹の出始めた幹から、横四方に広がるようになる久米島の松。
19世紀の末に植えられたと観光協会のガイドマップにある。
「五枝の松」(ごえのまつ)とも呼ばれる。
この松は、「伊平屋島の『念願平松』と共に沖縄県の二大松及び日本名松百選」(同ガイドマップ)に選ばれている。
曲は、古典の「仲地はんため節」と同じ。
歌い方も
(上句) サー くみぬ ヨー ぐゆ ヨー ぬまち サー したゐ ヨー だぬまくら スリヒヤマタ
(下句) サー うみわ ヨー らび ヨー んぞや サー わうでぃ ヨー まく まくら すりひやまた
となる。
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木綿花節
木綿花節
むみんばなぶし
mumiNbana bushi
〇木綿花の唄
一、木綿花作てぃ 木綿がし掛きてぃ 布美らく織やい(ヨーンゾヨ) 里が手巾(ヨーンゾヨ)
むみんばなちゅくてぃ むみんがしかきてぃ ぬぬちゅらくうやい(よーんぞよ)さとぅがてぃさじ(よーんぞよ)
mumiN bana chukuti mumiN gashi kakiti nunu churaku 'uyai (yoo Nzo yo) satu ga tisaji (yoo Nzo yo)
〇木綿花を作って、木綿を織るための綛(かせ)に掛けて 布を美しく織って(ねえ貴女よ) あの人の手ぬぐいを(ねえ貴女よ)
(以下囃子言葉は省略)
語句・むみんがし 木綿を織るための木綿の繊維を巻く機織りの道具。詳しくは「干瀬節」に。・てぃさじ 手ぬぐい。
二、花に実ならち 実に花さかち 御万人ぬまじり 真肌添ゆさ
はなにみならち みにはなさかち うまんちゅぬまじり まはだすゆさ
hana ni mi narachi mi ni hana sakachi 'umaNchu nu majiri mahada suyu sa
〇(木綿の)花に実をつかせ 実から花を咲かせて すべての人々の素肌に添う木綿を
語句・うまんちゅ すべての人々。 「慣用では‘御万人’と書かれるが‘御真人〔おまひと〕’の転または‘'uma〔'nmaの古形〕+nu+qcu’[そこらの人]」【琉球語辞典】 つまり、「御真人」あるいは「そこらの人」の意味。・まじり 「すべて。全体」【琉辞】。
三、木綿機なかい 白縄うちはきてぃ 無蔵に紡がしゅる 木綿小花
むみんばたなかい しらなうちはきてぃ んぞにちんがしゅる むみんくばな
mumiN bata nakai sirana 'uchihakiti Nzo ni chiNgashuru mumiN kubana
〇木綿の機に白縄をかけて貴女に紡がせる様子は木綿の小花
語句・なかい …に。なかに。 ・しらな 白縄。ここでは糸を紡ぐ車を廻すベルトの役割をする縄のこと。
四、後当原下りてぃ 花むゆる女 色美らさあしが 年や知らん
くしとーばるうりてぃ はなむゆるゐなぐ いるぢゅらさあしが とぅしやしらん
kushitoobaru 'uriti hana muyuru winagu 'irujurasa 'ashiga tushi ya shiraN
〇後当原(地名)に下りて木綿花を摘む女よ 美しいけれど年を知らない、いくつか?
語句・むゆる 摘む。<むゆん もぐ。
五、あに走る馬に ぶちゆかきみせが ぶちやひけみしょり わ年語ら
あにはゆるんまに ぶちかきみせが ぶちやひけみしょり わとぅしかたら
'ani hayuru 'Nma ni buchi kakimiseega buchi ya hikee misyori wa tushi katara
〇あの走る馬に鞭を叩いておられますが 鞭をお控えなされば私の年を教えましょう
語句・あに あの。<あ あれ、あの。+に に。・ぶち ムチ。鞭。・ひけ 控える。<ふぃけーゆん。
引き続き久米島の民謡を取り上げる。
木綿花節は「古くは『後当原(くしとーばる)』と称し、ウスデーク唄であったようだ」(「島うた紀行」仲宗根幸市氏)。
島袋盛敏氏の「琉歌大観」には「綿花節」というのがあり
木綿花作て木綿かせかけて布きよらく織らばゑけりが手巾
むみんばなちゅくてぃ むみんかしかきてぃ ぬぬちゅらくうらばえけりてぃさじ
mumiNbana chukuti mumiN kasikakiti nunu churaku 'uraba yekeri ga tisaji
「木綿花を作って、木綿のかせをかけてきれいな布を織らば、それから兄弟のために手拭を作ってあげたい」(琉歌大観)
兄弟が旅に出るときに、姉妹が旅の安全を願って手ぬぐいをつくるのが昔からのならわしだったようだ。
上の「木綿花節」の四番、五番は仲宗根氏によると「具志川按司とウラシマミツガネとの恋愛歌だという」。
ちなみに、「島うた紀行」では四番に
木綿紐作てぃ はてん布織やい 里があけず羽ぬ御衣ゆしらに
という歌詞が入っている。
(筆者撮影。2012年10月28日)
具志川城跡に下りていく坂の上にあった。
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南謝門節
南謝門節
なんじゃじょーぶし
naNjajoo bushi
〇南謝門の唄
語句・なんじゃじょー 久米島の東部の謝名堂にある拝所。旧暦の6月に稲大祭が行われる場所。大きなクファディサの木がある。
一、南謝門ぬくふぁや 枝持ちぬ美らさヨ ユイヤサーサー 謝名堂女童身持ち美らさヨンナ ユイヤサーサー
なんじゃじょーぬくふぁや ゐだむちぬちゅらさ(よんな ゆいやさーさー)じゃなどーみやらびぬみむちじゅらさ(よんな ゆいやさーさー)
naNjajoo nu kuhwa ya yidamuchi nu churasa (yoNna yuiya saa saa)janadoo miyarabi nu mimuchi jurasa (yoNna yuiya saa saa)※以下囃子は省略。
〇南謝門のクファディサは枝振りが美しいことよ!謝名堂の娘は心身共に美しいことよ!
語句・じょー 門。・くふぁ クファディーサー。クハディサ。使君子科の熱帯樹。別名は「古葉手樹」(コバテイシ)。沖縄だけでなく小笠原、アジア、アフリカの海岸に分布。冬は枯れて落葉する。沖縄では墓場に植えられることが多く「泣き声」を聞いて大きくなるという言い伝えがある。・ゐだむち 枝振り。「ゐ」の発音は「yi」。や行の発音で、現在の50音にはない。・ちゅらさ 美しいことよ!<ちゅらさん。「きよらさん」から。・みむち 「身持ち」、心身や行動もふくめて、その人の有り方。
二、だんじゅ比嘉村や うとぅに豊まりる 一立て女童ぬ なだる美らさ
だんじゅふぃじゃむらや うとぅにとぅゆまりる ちゅだてぃみやらびぬ なだるちゅらさ
daNju hwijamura ya 'utu ni tuyumariru chudati miyarabi nu nadaru churasa
〇だんぜん比嘉村はその名を知られているが すべての娘の非常に美しいことよ!
三、謝名堂馬越川 照り明かすう月 さばち思なびが 身なり美らさ
じゃなどーんまぐしかー てぃりあかすうちち さばちうみなびがみなりちゅらさ
janadoo 'Nmagushikaa tiri'akasu 'uchichi sabachi 'uminabi ga minari churasa
〇謝名堂の馬越川に照って明るくする御月様 櫛をかけた愛しいナベの身なりが美しいことよ!
語句・さばち 櫛(くし)で髪をとかして。<さばちゅん 櫛をかける。さばく。連用形。・・して。
四、並びてる童 十七ぬ童 うりから越いてぬ 並び算ぬふか
ならびてるわらび とぅななぬちわらび うりからくいてぃぬ ならびさんぬふか
narabiteeru warabi tunanachi nu warabi 'uri kara kuiti nu narabisaN nu huka
〇並んでいる娘 十七歳の娘 それを越えて(以下不詳)
引き続き久米島民謡を取り上げる。
南謝門は、久米島の東部の字謝名堂にある。
旧暦の6月に「稲大祭に南謝門で安全祈願を済ませた事を祝う、祭祀舞踊ウシデーク(臼太鼓)の唄として」(観光ガイドマップ)歌われてきたもの。
現在は、廃藩置県以降にウシデークの代わりに角力(すもう)が行われている。
南謝門のクワディーサー。
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武富節
武富節(貫花)
だきどぅんぶし(ぬちばな)
dakiduN bushi(nuchibana)
一、でちゃよ押し連れてあたい花むいが 花や露かむてむいやならん(へいやーよーぬひやるがひ)(以下囃し省略)
でぃちゃよ'うしちりてぃ'あたいばなむいが はなやちゆかみてぃ むいやならん
dicha yo 'ushichiriti 'ataibana muiga hana ya chiyu kamiti muiyanaraN
〇さあ 連れだって畑の花をもぎ取りに 花は露を乗せてもぎ取ることはできない
二、白瀬走川に流れゆる桜すくて思里に貫ちゃいはきら
しらしはいかわにながりゆるさくらすくてぃ'うみさとぅにぬちゃいはきら
shirashi haikawa ni nagariyuru sakura sukuthi 'umisatu ni nuchai hakira
〇白瀬走川に流れている桜をすくって愛しい貴方に(桜を)糸で通したりして首にかけよう
三、赤糸貫花や里に打ちはきて白糸貫花やゆいり童
'あかちゅぬちばなやさとぅに'うちはきてぃ しらちゅぬちばなやゆいりわらび
'akachu nuchibana ya satu ni 'uchihakiti siruchu nuchibana ya yuiri warabi
〇赤い糸の貫花は貴方に首にかけ 白糸の貫花はもらえ 子ども
解説
(語句)
一
・'あたい 畑 菜園
・むいが もぐために
<むゆん + i+ga ~しに(cf.「べーべーぬくさかいが」)
・かみてぃ <かみゆん のせる
二
・かわ kawa
白瀬走川 しらせはいかわ 久米島具志川村にある川の名前。
・はきゆん 首にかける
三
・ゆいり もらえ
<ゆいり<yiiri<iiyuN
(コメント)
白瀬走川は久米島具志川間切にある川。流れが速いのでこの名前がある。
古典の呼び名で「白瀬走川節」
舞踊では「貫花」
古典女踊りでは雑踊りと区別して「本貫花」(むとぅぬちばな)
武富節と呼ばれるのは本歌が「真栄節」(まざかいぶし)であるから。
歌詞を紹介しよう。
生りや竹富育や仲間ぬまざかい エイヨウヌヒヤルガヨウ
(まりやたきどん すだつやなかまぬまざかい)
なゆぬうゆんいきゃぬつぃにゃんど仲間くひだ
(なゆぬゆんいきゃぬつぃにゃんどなかまくひ《い?》だ)
大浦田ぬみなぐつぃぬゆやんどう
(うはらだぬみなぐつぃぬやんどー)
餅米ぬ白米ぬやんどう
(むちぐみぬしるぐみぬゆやんどー)
この最初の「竹富」(ダキドン)から「武富節」(だきどぅんぶし)と呼ばれるのだろう。
あくまで想像の域であるが、
(本歌)真栄節(八重山民謡)→白瀬走川節(久米島民謡)→武富節(古典)→本貫花・貫花(舞踊曲)
という流れで歌が広がっていったのではないだろうか。
貫花というのは、色々な花を糸で貫いてハワイのレイのようなものを持って踊る。
久米島には桜が今はみられないので、白ツツジや赤ツツジを桜にたとえたという説。昔は桜があったという説がある。
前回の「サーサー節」の3番で「糸をもらえこどもよ、それで露の玉をつないだりして遊ぼう」という歌詞と、この3番が関連しているように思える。
ところで、「ゆいり」には2説ある。
胤森さんによると
「琉歌大成」では「捨てろ」
「沖縄古語辞典」では「もらえよ」となっているが、
「赤糸は喜びの象徴で祝儀に使われ、白は不幸に使われる。」ことから
「捨てろ」が妥当だという。
しかし、私には疑問がのこる。
・なぜ、不幸の色の白糸で貫花をわざわざ作ってから子どもに捨てろというのか?
それから「花笠節」という唄の副題に「白糸節」と一名があり、四番に「白糸
かきやい貫花造とて里前御衣 里と我が仲語らんむんぬん 我がうてちちゅみ」
白糸が不吉ならこの唄は不吉な唄となるが、そうではないのは何故か?
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白瀬走川節
白瀬走川節
しらしはいかわぶし (しらしはいかーぶし)
shirashihaikawa bushi (shirashihaikaa bushi)
〇白瀬走川の唄
語句・しらしはいかわ 久米島で最大の河川「白瀬川」。「走川」とは「流れの早い川」という意味。「しらしはいかー」ともいう。
一、白瀬(よ)走川に(はい)流り(よ)ゆる桜(ひやるがひ)
しらし(よ)はいかわに(はい)ながり(よ)ゆるさくら(ひやるがひ)
shirashi (yo) haikawa ni (hai) nagar i(yo) yuru sakura (hiyaruga hi)
〇白瀬走川にながれている桜の花
二、しくてぃ(よ)思里に(はい)貫ちゃい(よ)はきら(ひやるがひ)
shikuti (yo) 'umisatu ni (hai) nuchai (yo) hakira (hiyaruga)
〇すくって愛しいあの方へ 花に糸を通したりして首にかけてあげたい
語句・しくてぃ すくって。<すくゆん。すくう。・ぬちゃい糸で通したりして。 <ぬちゅん。「ぬく。貫く。糸に通す。」【沖縄語辞典】。 ・はきら 首にかけたい。<はきゆん。「佩く。首にかける」【沖縄語辞典】。「佩(は)く」とは「太刀を(腰に)佩く」というように、「身に着ける」という意味。
久米島民謡が続く。
古典曲でもある「白瀬走川節」。
白瀬走川は久米島の南西部に走る河川。
近くに兼城港がある。
地図、歌碑などは久米島町のHP参照。
http://www.town.kumejima.okinawa.jp/sightsee/culturalspot/pdf/a4_03.pdf
「はいかわ」または「はいかー」とは「流れの速い川」の意味。
昔はこの川の両岸にあったといわれる山桜の花びらが川面に落ちて流れる様子をみて、その花びらを糸で貫いて貫花(ぬちばな)、今で言うレイであるが、それを彼氏にかけてあげたいという女性の想いが唄に。
古典女踊りの「本貫花」(むとぅぬちばな)では「金武節」とともに歌われる。
また、「貫花」では「南嶽節」(なんだきぶし)のチラシ(一緒に歌われる別の曲)の「武富節」(だきどぅんぶし)にこの歌詞がつかわれている。
この曲は古典曲になる前から女性が神事で歌っていたものといわれている。
たまたま見つけたNHK沖縄放送局のデータベースに、久米島のものではないが沖縄本島、南城市の奥武島での臼太鼓で女性たちが歌っているものが記録されている。
http://www.nhk.or.jp/churauta/database/data/292.html
ご参考までに。
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上の山節
上の山節(一名 桑むい節)
うぃーぬやまぶし(くゎーむいぶし)
'wii nu yam bushi (kwaa mui bushi)
〇上の山の唄(別名 桑を採る唄)
久米島民謡
一、(女)桑むいになじき 山登てぃうらば 里や草苅いになじき 忍でぃいもり ツォンツォンヤーツォン 山んじ里前に真心語らば骨なてぃ骨なてぃ いちゃならわんまま
くゎーむいになじき やまぬぶてぃうらば さとぅやくさかいになじき しぬでぃいもり(つぉん つぉん やーつぉん)やまんじさとぅめにまぐくるかたらばふになてぃくちなてぃ いちゃらわんまま
kwaa mui ni najiki yama nubuti uraba satu ya kusakai ni najiki shinudi 'imoori (tsuoN tsuoN yaa tsuoN)yama 'Nji satumee ni magukuru kataraba huni nati kuchi nati 'icharawaN mama
〇私は桑の実採りのふりをして山に登っているから 愛しい貴方は草刈りのふりをして忍んで来てください (囃子言葉以下省略)山で彼氏に真心を伝えれば骨になり遺骨になっても(死んでも)どうなっても一緒よ
語句・くゎーむい 桑(の実または葉。ここでは実とした。)もぎ。<くゎー 桑+むい<むゆん 実などをもぐ。 ・なじき「ふり、そぶり〔表向きよそおうこと〕、口実」【琉球語辞典】。・んじ で。場所を表す。・くち 遺骨。 「ふに」は「ほね」から、「くち」は「こつ」からの変化(三母音化)したもの。・いちゃらわん どうなっても。<いちゃら<いちゃる いかなる。 +や は。融合したもの。 + わん<ば+も。 ・まま 「一緒」【琉辞】。
二、(男)草苅いになじき 山登てぃいちゃい 無蔵とぅ恋ぬ奥山に思い語ら ツォンツォンヤーツォン山うてぃ染みなち 比翼ぬ鳥なてぃ 紺地ぬ色なさ
くさかいになじき やまぬぶてぃいちゃい んぞとぅくいぬうくやまに うむいかたら やまうてぃすみなち ひゆくぬとぅいなてぃ くんじぬいるなさ
kusakai ni najiki yama nubuti 'ichai Nzo tu kui nu 'ukuyama ni 'umui katara yama uti suminachi hiyuku nu tui nati kuNji nu 'iru nasa
〇草刈りのふりして山に登ってきたよ お前と恋の奥山で恋を語ろう 山で心染めあい比翼のオシドリのように仲良く 紺地の色のように濃く染めあおう
語句・ひゆくぬとぅい 中国の伝説上の鳥で 「雌雄それぞれの目と翼が一つずつで 常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。
三、(女)蚕糸(かいくいとぅ)ひかち 七ゆみにかきてぃ イヤヨあけず羽ぬ御衣にしゃびら ツォンツォンヤーツォン 深山にかくりてぃ 忍ぶ恋路ぬ 他所目に知りらば 闇路ぬ恋船 うち乗りてぃいちゃい 後生ぬ港に いちゃならわんまま 思切り第一
かいくいとぅひかち ななゆみにかきてぃ いやよ あけずばぬんしゅにしゃびら みやまにかくりてぃ しぬぶくいじぬ ゆすみにしりらば やみじぬくいぶに うちぬりてぃいちゃい ぐそーぬんなとぅに いちゃならわんまま うみちりでーいち
kaiku 'itu hikachi nanayumi ni kakiti 'iyayo 'akezuba nu Nshu ni syabira miyama ni kakuriti shinubu kuiji nu yusumi ni shiriraba yamiji nu kuibuni 'uchi nuriti 'ichai gusoo nu Nnatu ni 'ichanara waN mama 'umichiri deeichi
〇蚕から絹糸を引いて七読みほどの細かい目の上等の織物を織って(イヤヨ 囃子言葉)トンボの羽のように薄くて美しい着物にしましょう 深い山に隠れて忍ぶ恋路を他人に知られたら 闇夜の恋舟に乗って行こう あの世の港に どうなっても一緒だから 死ぬ覚悟です
語句・ななゆみ きめの細かい織り方。 干瀬節を参照。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・あけずば とんぼの羽。文語。薄くて美しい御衣の例え。「あけじ」「あーけーず」「あーけーじゅ」とも。
四、(男)羽御衣や無蔵が染みあぎてぃからや イヤヨいひん片時ん離りぐりしゃツォンツォンヤーツォン 三月遊びん うり着ち遊ぶさ 秋なてぃ真中ぬ月見ん 又くり夕暮時分の 親にんかくりてぃ 忍でぃちゅーくとぅ 山うてぃ待っちょり (女)言ちゃんどーや 変わんなよーや 待ちかんてーどん しみんなよーや
はにんしゅやんぞがすみあぎてぃからや いやよ いひんかたとぅちんはなりぐりしゃ さんぐゎちあしびん うりちちあしぶさ あちなてぃむなかぬちちみんまたくり ゆまんぐぃじぶのーうやにんかくりてぃ しぬでぃちゅーくとぅやまうてぃまっちょーり いちゃんどーや かわんなよーや まちかんてーどんしみんなよーや
hani Nshu ya Nzo ga sumiagiti kara ya ih(w)iN katatuchiN hanarigurisha saNgwachi 'ashibiN uri chichi 'ashibusa 'achi nati munaka nu chichi miN mata kuri yumaNgwi jibunoo 'uya niN kakuriti shinudi chuu kutu yama uti machoori 'ichaN doo ya kawaNna yoo ya machikaNteedoN shimiNna yoo ya
〇(男)美しい着物を愛しいお前が染めあげてくれたので すこしも片時も離れずらいよ 三月遊びもそれを着て遊ぶよ 秋になって十五夜の月を見てまた来れば夕暮れ時には親に隠れて忍んで来るから山で待ってくれよ(女)言ったわね それなら心変わりしないでね 待ちかねるなんてさせないでね
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桑ムイ節
桑ムイ節
くゎーむいぶし
kwaa mui bushi
〇桑(の葉)採りの唄
語句・くゎー 桑。ここで収穫するものは桑の葉。絣の素材である絹糸をとるための蚕の餌。・むい 採る。もぐ。<むゆん 「(果実を)もぐ」【沖縄語辞典】とあるように、「もぐ」は葉などより果実を採る意味に近い。
一、(女)桑ムイになじき 山登てぃ居らば 里や草刈になじき 忍でぃいもり チョンチョン ヤーチョンチョン 山んじ里前に真心語らば 骨なてぃくちなてぃ如何ならわんまま
くゎーむいになじき やまぬぶてぃうらば さとぅやくさかいになじき しぬでぃいもり(チョンチョン ヤーチョンチョン)やまんじさとぅめにまぐくるかたらばふになてぃくちなてぃ いちゃらわんまま
kwaa mui ni najiki yama nubuti uraba satu ya kusakai ni najiki shinudi 'imoori (chooN chooN yaa chooN)yama 'Nji satumee ni magukuru kataraba huni nati kuchi nati 'icharawaN mama
〇私は桑の葉採りのふりをして山に登っているから 愛しい貴方は草刈りのふりをして忍んで来てください (囃子言葉以下省略)山で彼氏に真心を伝えれば骨になり遺骨になっても(死んでも)どうなっても一緒よ
語句 ・なじき 「ふり、そぶり〔表向きよそおうこと〕、口実」【琉球語辞典】。・んじ で。場所を表す。・くち 遺骨。 「ふに」は「ほね」から、「くち」は「こつ」からの変化(三母音化)したもの。・いちゃらわん どうなっても。<いちゃら<いちゃる いかなる。 +や は。融合したもの。 + わん<ば+も。 ・まま 「一緒」【琉辞】。
二、(男)草刈になじき 無蔵とぅ恋ぬ奥山に思い語ら (囃子 省略) 山居てぃ染みなち 比翼ぬ鳥なてぃ紺地ぬ色なさ
くさかいになじき んぞとぅくいぬうくやまに うむいかたら やまうてぃすみなち ひゆくぬとぅいなてぃ くんじぬいるなさ
kusakai ni najiki Nzo tu kui nu 'ukuyama ni 'umui katara yama uti suminachi hiyuku nu tui nati kuNji nu 'iru nasa
〇草刈りのふりして お前と恋の奥山で恋を語ろう 山で心染めあい比翼のオシドリのように仲良く 紺地の色のように濃く染めあおう
語句・ひゆくぬとぅい 中国の伝説上の鳥で 「雌雄それぞれの目と翼が一つずつで 常に雌雄一体で飛ぶという中国の伝説上の鳥」【琉辞】。
三、(女)蚕ぬ糸ひかち 七読にかきてぃ イヤヨ里があけじ羽ぬ御衣にさびら (囃子 省略)深山に隠りてぃ 忍ぶる恋路ぬ他所目に知りらば闇路ぬ恋舟 うち乗てぃ行ぢゃい 後生ぬ港に 如何ならわんまま思切り第一
かいぐぬいとぅひかち ななゆみにかきてぃ いやよ あけずばぬんしゅにさびら みやまにかくりてぃ しぬぶくいじぬ ゆすみにしりらば やみじぬくいぶに うちぬりてぃいちゃい ぐしょーぬんなとぅに いちゃならわんまま うみちりでーいち
kaigu nu 'itu hikachi nanayumi ni kakiti 'iyayo 'akezuba nu Nshu ni sabira miyama ni kakuriti shinubu kuiji nu yusumi ni shiriraba yamiji nu kuibuni 'uchi nuriti 'ijai gushoo nu Nnatu ni 'ichanara waN mama 'umichiri deeichi
〇蚕が絹糸を引いて七読みほどの細かい目の上等の織物を織って(イヤヨ 囃子言葉)トンボの羽のように薄くて美しい着物にしましょう 深い山に隠れて忍ぶ恋路を他人に知られたら 闇夜の恋舟に乗って行こう あの世の港に どうなっても一緒だから 死ぬ覚悟です
語句・かいぐ 蚕。「上の山節」では「かいく」と歌われている。【沖縄語辞典】では「蚕」は「かいぐ」。・ななゆみ きめの細かい織り方。 干瀬節を参照。「読」(ゆみ)とは「織り幅に入る縦糸の本数を段階的に表示した(布目の密度の)単位で、一[ひと]ヨミは(計算上)糸80本;目の粗い七[なな]ヨミ〔560本〕から、(上布など)目の細かい廿[はた]ヨミ〔1600本〕まである」(琉) 「読」とは「数え」と同義。 普段着用の七読み、と上布用の二十読→「七読」は付け足しで、ここでは上布を意味するという説もある。(島袋盛敏氏) 琉球語辞典では「(ふだんぎ用に)七読み[ななよみ]や(上布用に)廿読[はたよみ]で、織る糸を」というように両方、あるいはいろいろ用意して、という意味に解釈しているものもある。 ・あけずば とんぼの羽。文語。薄くて美しい御衣の例え。「あけじ」「あーけーず」「あーけーじゅ」とも。・ぐしょー あの世。「上の山節」では「ぐそー」。
四、(男)羽衣や無蔵が 染みあぎてぃからや イヤヨうひん片時ん離りぐりさ (囃子省略)三月遊びや うり着ち遊ぶさ(女)秋なてぃ真中ぬ月見んまたくり (男)夕間暮時分のー 親にん隠りてぃ忍でぃ行ちゅくとぅ山居てぃ待っちょり (女)云ちゃんどーやー変わんなよーやー (男)待ちかんてぃどぅん しみんなようや
はにんすやんぞがすみあぎてぃからや いやよ うひんかたとぅちんはなりぐりしゃ さんぐゎちあしびや うりちちあしぶさ あちなてぃまなかぬちちみんまたくり ゆまんぎじぶのーうやにんかくりてぃ しぬでぃいちゅくとぅ やまうてぃまっちょり いちゃんどーや かわんなよーや まちかんてぃーどぅんしみんなよーや
hani Nsu ya Nzo ga sumiagiti kara ya 'uhwiN katatuchiN hanarigurisa saNgwachi 'ashibi ya uri chichi 'ashibusa 'achi nati manaka nu chichi miN mata kuri yumaNgi jibunoo 'uya niN kakuriti shinudi 'ichu kutu yama uti machoori 'ichaN doo ya kawaNna yoo ya machikaNtiiduN shimiNna yoo ya
〇(男)美しい着物を愛しいお前が染めあげてくれたので すこしも片時も離れずらいよ 三月遊びもそれを着て遊ぶよ 秋になって十五夜の月を見てまた来れば夕暮れ時には親に隠れて忍んで来るから山で待ってくれよ(女)言ったわね それなら心変わりしないでね 待ちかねるなんてさせないでね
語句・うひん <うふぃ 「その大きさ。それだけ」「そんなに大きく(多く)。また、そんなわずか」【沖辞】。+ん 強調。 ここでは「すこしでも」くらい。「上の山節」では「いふぃん」・さんぐゎちあしび 「年中行事に名。三月遊びの意。旧暦三月三日、平民の娘たちが鼓を打ち、歌を歌って興ずること。上代の歌垣に似ている。那覇では、娘たちが遊山船(nagaribuunii)を仕立てて、船の中で鼓を打ち、歌を歌って遊び暮らす風があり、その時村と村とが対抗して、歌で喧嘩する場面も見られた」【沖辞】。
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これまでの曲の一覧 351~388
388桑ムイ節
387上の山節
386白瀬走川節
385武富節
384南謝門節
383木綿花節
382久米はんため節
381いぬひな節
380黒石森城節
379久米阿嘉節
378銭節
377束辺名口説
376中城はんため節
375高離り節
374想いションガネー
373はじうすい坂
372石くびり
371恨みの嵐
370しやうんがない節
369瓦屋節
368なからた節
367瓦屋情話
366島情話
365世宝節 2
364四季の喜び
363ハイニセター
362下千鳥 4
361オーチャメ
360放蕩口説
359砂辺の浜
358幸せ列島
357ダンク節
356歌の泉
355果報節
354新家庭小
353意見あやぐ
352クラハ山田
351挽物口説
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華ぐるま
華ぐるま
はなぐるま
hana guruma
語句・はなぐるま 「花」ではなく「華やかな」という意味の「華」を使われている。「花」で作った「かじまやー」(風車)ということだろうか。
作詞 上原 直彦 作曲 松田 弘一
一、人情ぬしてぃ みぐり華ぐるま 真肝結ぶ なりし御縁 (フィーヨー フィ みぐり華ぐるま)
ふぃとぅなさき ぬしてぃ みぐりはなぐるま まぢむむしぶ なりしぐゐん (ふぃーよー ふぃー みぐりはなぐるま)
hwitu nasaki nushiti miguri hanaguruma majimu mushibu narishi guyiN (hwii yoo hwii miguri hana guruma)
〇人の情けを乗せて 回れ華ぐるま 真心をむすぶ 親しい御縁 (ひけよひけ まわせ華ぐるま)
以下括弧の囃子言葉は省略。
語句・みぐりまわれ。<みぐゆん。「めぐる。回る」【琉球語辞典】。命令形。・なりし親しい。 <なりゆん。「慣れる、なじむ、親密になる」【琉辞】。・ふぃーよー 引けよ。<ふぃちゅん 引く。命令形+よー よ。
二、華ぐるま乗やい 思いやふぁやふぁとぅ いちゅる先方や 花ぬ都
はなぐるまぬやい うむいやふぁやふぁとぅ いちゅるさちふうや はなぬみやく
hanaguruma nuyai 'umui yahwayahwa tu 'ichuru sachihuu ya hana nu miyaku
〇華ぐるまに乗って思いやすやすと行く先々(将来)には華やかな都が
語句・やい 「連用形または連用語幹に付いて『(…し)て』の意」【琉辞】。・やふぁやふぁとぅ 「やんわりと」【琉辞】。視覚的な状態を形容する「やんわり」という意味と、心情表現としての「気持ちやすやすと」くらいの意味もある。・はな「花」と「華やかな」の意味。「遊郭」や「毛遊び」が盛んな町を表す場合もある。
三、くびり道やてぃん 迷い道やてぃん 人情ありば 夢ぬ大道
くびりみちやてぃん まゆいみちやてぃん ふぃとぅなさきありば いみぬうふど
kubiri michi yatiN mayui michi yatiN hwitu nasaki 'ariba 'imi nu 'uhudoo
〇小さい坂道であっても 迷い道であっても 人の情けがあれば 夢ごこちの大道である
語句・くびり 「小さい坂」【琉辞】。<く。小。+びり<ふぃら。坂。「石くびり」を参照。・うふどー 大きな道→「人生」の比喩であろう。
四、若さ大道に 華ぐるまはらち 人心知ゆる なりし浮世
わかさうふどーに はなぐるまはらち ふぃとぅぐくるしゆる なりしうちゆ
wakasa 'uhudoo ni hana guruma harachi hwitugukuru shiyuru narishi 'uchiyu
〇若さ大道に(人の情けを乗せた)華ぐるまを走らせて人心を知ることができる 親しいこの世の中に
語句・はらち 走らせて。<はらしゅん。走らせる。
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永良部子守唄
永良部子守唄
えらぶくゎむいうた
erabu kwamui 'uta
〇沖永良部島の子守唄
語句・くゎむい 子守。<くゎ 沖縄語では「っくゎ」(qkwa)+むい 守り。
一、眠ぶりぶりにぶり 誰が泣きでぃ言ちよ わが守らばにぶり ヨーヒヨ童
にぶりぶりにぶり たがなきでぃいちよ わがむらば にぶり よーひよわらび
◯眠り眠りしながら誰が泣けといったか 私が守るので眠りなさい「ヨーヒヨ」(不詳)子ども
語句・にぶりぶりにぶり 繰り返しによる韻を踏んだ表現だろう。
二、泣くなくな童 誰が泣きでぃ言ちよ 泣かなしゅてぃふでぃり 花ぬ童
なくな くなわらび たがなきでぃいちよ なかなしゅてぃ ふでぃり はなぬわらび
nakuna kuna warabi ta ga naki di ichi yo nakana shuti hudiri hana nu warabi
◯泣くな泣くな赤ん坊よ 誰が泣けといったか? 泣かないで育ってくれ 花のような子どもよ
三、うらがいちゃ泣ちゃんて うら親ぬ聞ちゅみ わぬどぅ親なとぅてぃ うらむ守ゆる
うらがいちゃなちゃんて うらうやぬ ちちゅみ わぬどぅ うやなとぅてぃ うらむむゆる
ura ga icha nachaNte ura uya nu chichmi wanu du uya natuti ura mu muyuru
◯お前が如何に泣いても お前の親は聞くまい だから私が親になってお前の守りをする
語句・うら沖永良部方言で「お前」。・いちゃ 如何に。ウチナーグチと同じ。
四、石ぬ上に土置いてぃ 土ぬ上に花植いてぃ うぬ花ぬ咲かば 我子にくりや
いしぬうぃにみちゃういてぃ みちゃぬうぃにはなういてぃ うぬはなぬさかば わくゎにくりや
ishi nu ui ni micha uiti micha nu ui ni hana uiti unu hana nu sakaba wa kwa ni kuriya
◯石の上に土を置いて 土の上に花を植えて その花が咲けば、私の子にくれよ
語句・みちゃ土。 ウチナーグチでは「んちゃ」。
五、おいしゃ鼠美おいしゃ 石垣ぬ穴から動くなよ 石垣ぬ穴から出行くとぅわ 猫々に喰わゆんど
おいしゃ おいしゃ ちゃおいしゃ いしぬごーから うんくなよ いしぬごーから うんくとぅわ みゃあみゃあに くゎゆんど
oisha oisha cha oisha ishi nu goo kara uNkuna yo ishi nu goo kara uNkutu wa myaamyaa ni kwayuN doo
◯ネズミ、ネズミ、美しいネズミ 石垣の穴から動くなよ 石垣の穴から動くと猫に食べられるよ
語句・おいしゃ 猫。沖永良部方言。・わ ば。仮定法。「〜すれば」。ウチナーグチと同じ。
沖永良部民謡の「永良部子守唄」をとりあげた。
この歌は地元ではもちろん、ネーネーズや地元出身の歌手大山百合香さんなどが歌ったものがある。また内地の唄者にも人気がある。
曲は沖縄音階で作られている。
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