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Channel: たるーの島唄まじめな研究
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谷茶前 2

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谷茶前 たんちゃめー taNchamee 語句・たんちゃめー 谷茶前の浜、が正式な呼び名である。「の浜」が省略されている。 ※歌詞は「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)の「谷茶前」より。 一、谷茶前ぬ浜に スルル小が寄ててんどぅ(ヘイ) スルル小が寄ててんどぅ(ヘイ) (ナンチャムサムサディアングヮソイソイ ナンチャマシマシ ディアングヮヤクスク)(括弧の囃子と繰り返しはは以下省略) たんちゃめーぬはまに するるぐゎーがゆてぃてぃんどー taNchamee nu hama ni sururu gwaa ga yutitiN doo ◯谷茶(の)前の浜に きびなごが集まっているぞー 二、スルル小やあらんよ 大和ミズンど やんてんどー(繰り返し略)  するるぐゎーやあらん やまとぅみじゅんどぅ やんてぃんどー sururugwaa ya 'araN yamatu mijuN du yaNtiN doo ◯きびなごではない ヤマトミズン(ニシンの一種)だぞ 三、アヒー達やうりとぅいが アングヮやかみてうり売りが あひーたーや うりとぅいが あんぐゎーや かみてぃうりういが 'ahiitaaya 'uri tuiga 'angwaa ya kamiti 'uri 'uiga ◯兄さんたちはそれを採るために 姉さんたちは頭に乗せて売るために 語句・あひーたー 兄さん達。「あふぃーたー」とも言う。 ※三番までは前回の「谷茶前」とほぼ同じなので語句などはそちらを参照。 四、読谷山ぬシマから スルル小や買んそーらに ゆんたんじゃぬしまから するるぐゎーや こーんそーらに yuNtanja nu shima kara sururugwaa ya kooNsoorani ◯読谷の村から(来たが)キビナゴをお買いになりませんか 語句・ゆんたんじゃ 「読谷」は昔こう呼ばれた。「ゆんたんざ」とも。・からウチナーグチでは 「から」を①通過の場所(〜から)。②通行の場所(〜を)。③通行の手段(〜で)で用いる。【琉辞】。ここでは②の通貨の場所。読谷村を(歩いていて)こーんそーらに、と売り声をだした。・こーんそーらに お買いになりませんか。<こー。<こーゆん。買う。+んそーらに。<んそーゆん。=みそーゆん。〜してください。敬語。 五、谷茶大口スルル小 まぎさみふどぅいいとぅみ たんちゃ うふぐち するるぐゎー まぎさみ ふどぅ ゐーとーみ taNcha ‘uhuguchi sururugwaa magisami hudu wiitoomi ◯谷茶の大口のキビナゴは大きいか? 大きさは育っているか? 語句・うふぐち 谷茶の浜にあるリーフの名称。そこに裂け目があり、船などが往来した。・まぎさみ 大きいか?形容詞は、まぎさ(おおきさ)+ん<あん(あり)と言う構造になっているが、疑問文にする時は「N」(ん)を「m」にして疑問の助詞「i」をつける。・ふどぅ 大きさ。「背丈、身長」【琉球語辞典(半田一郎)】(以下【琉辞】)。・ゐーとーみ 成長しているか? <ゐーゆん 成長する。(「老いる」の意味もある。)→ゐーとーん (成長している)の疑問文。 六、むっちくーわ 姉小たー 一碗ちゃっささびーが むっちくーわ あんぐゎーたー ちゅーまかい ちゃっささびーが mucchi kuuwa ‘aNgwaataa chuu makai chassabiiga ◯持ってこいよ 姉さん達 お碗に一杯いくらしますか 語句・むっちくーわ 持ってこいよ。持ってきてよ。動詞「むちゅん」(持つ)の連用形(もって)は「むっち」、それに「ちゅん」(来る)の命令形「くー」(来い、来て)に「わ」(「や」の変化したもの。意味は「よ」)。・ちゅひとつ。・まかいどんぶり。茶碗。・ちゃっさ どれほど。値段を聞く時などの「いかほど」。・さびーが しますか?さ。<すん。する。+びー<あびーん。丁寧な「ます」。疑問文では「あびーが」となる。 七、うり売てぃ戻いぬ 姉小たーにういぬひるぐささ うりうてぃ むどぅいぬ あんぐゎーたー にうぃぬ ひるぐささ ‘uri ‘uti muduinu ‘aNgwaataa niwi nu hirugusasa ◯それを売って戻った姉さん達の匂いのなんと生臭いことよ! 語句・むどぅいぬ 直訳では「戻っての〜」。戻った。・にうぃ 匂い。発音に注意。・ひるぐささ 生臭いことよ。<ひるぐささん。生臭い。形容詞の体言止めなので感嘆(なんと〜なことよ!)の意味。 谷茶前の原型を求めて 前回の本ブログで現在舞踊曲などで楽しまれている「谷茶前」の歌詞を検討したが、今回は舞踊曲になる前の民謡として親しまれていた頃の歌詞を検討する。「琉球列島 島うた紀行 第1集」(仲宗根幸市編著)に掲載されている歌詞である(「島うた紀行」にある「明治初期の歌詞」については次回検討する)。 雑踊りとしても民謡としても人気が高い「谷茶前」の歌詞にはいくつか相違点があることはよく知られている。 恩納村の谷茶村に伝承されていたこのウタを元に、明治初期に舞踊の名人といわれた玉城盛重が明治20年頃に振り付けをして那覇で人気を博したという(「琉球舞踊入門」宜保栄治郎著)。 そして人気を博した雑踊りの舞踊曲は出羽(んじふぁ;一曲目の入場曲)につかわれた「伊計はなり節」とともに多くの人々に愛され演舞されるうちに、より躍動的で楽しませるものに変化していった。 変化した点はまた明治期の谷茶前の歌詞を検討しながら見ていきたい。 現在の舞踊曲などの谷茶前では四番以降は例外を除いてあまり歌われない。 四番から五番までの歌詞が実に生き生きとした情景描写で民謡の本領を発揮しているように感じる。つまり魚を兄さんたちが獲って姉さんたちがそれを買い、他のシマに物売りに行くのだ。そしてこうしたやりとりがおこなわれる。 「谷茶の大口のスルル小は大きいか、育っているか?」と それなら「じゃあ持って来てくれ、ひと椀でいくらだ?」 「そして儲けて帰ってきた娘らは頭に魚を乗せて売り歩いたから魚臭くなっていた」と。 恩納村から読谷村まで売りに歩いた様子がうかがわれる。そして谷茶の大口のスルル小は人気もあったのだろう。

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