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Channel: たるーの島唄まじめな研究
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落平ぬ水 《ナークニーを追って》1

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久しぶりの「島唄コラム」です。 先日4月10日から14日まで沖縄本島を訪れ、「ナークニー」が生まれた痕跡を探し、本部ミャークニーの道を探ってきました。 多くの方に教えられながらの旅を振り返り、沖縄のウタに少しでも近づけたら、と思います。 私の別ブログ「たるーの島唄人生」で書いたものをほぼ転載しますので、 すでに読まれた方は、すみません。 よろしくお願いします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2015年4月10日、沖縄は雨です。 ナークニーの系譜を求めて、あちこちを回っています。 空港から向かったのは「あやぐ節」にでてくる「落平の水」。 道ぬ美らさや 仮屋ぬ前 あやぐぬ美らさや 宮古ぬあやぐ イーラヨー マーヌヨー 宮古ぬあやぐ エンヤラースーリ にはじまる「あやぐ節」に 沖縄いもらば 沖縄ぬ主 うてぃんだぬ水に あみさますなよ ばんたがかじゃぬ 美童匂いぬ うてぃがすゆら エンヤラースリ この「うてぃんだ」がここの水というわけです。 ここの掲示板には(長いので一部を) 《那覇港に出入りする船は、朝から夕方まで落平に参まり、取水のため、先を争って口論が絶えなかったという。中国からの冊封使(さっぽうし)一行の来琉を控え、落平を調べると、樋が壊れ、水量が減っていたため、泉崎村(いずみざきむら)の長廻筑登之親(ながさくチクドゥンペーチン)雲上等36人の寄付によって、1807年に落平の樋を修理し、さらに60間(約108m)程東に、新しい樋を設け、新旧2本の樋で給水に供したという(「落平樋碑記(ひひき)」)。》 ここの石垣をボランティアで修理している方にお話を聞くと、もう最近では水は雨水くらいになってしまったようです。 ところで、なぜ、ナークニーの系譜に「あやぐ節」が?って疑問わきませんか? それはもうすでに書いていますが(「あやぐ節」)、またおいおいまとめたいと思います。 まずは落平の井戸(カー)から。

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