ヨーテー節
語句・よーてー ウタの中に出てくる囃子言葉。「ヨー」はよく使われる。「てー」には「と言い」くらいの意味がある。
《作者不明。歌詞は「島うた紀行」(仲宗根 幸市編著)より》
一、昔ばんしんか勘定納に下りて(ヨー)天馬打ち出じゃち屋我地渡ら (ヨーテー ジントー)屋我地渡ら
んかし ばんしんか はんてぃな にうりてぃ(よー)てぃんま うち んじゃち やがじじま わたら(よーてー じんとー)やがじわたら
《括弧は囃子言葉。以下、括弧も繰り返しも省略する》
Nkashi baN shiNka haNtina ni uriti tiNma ’uchiNjachi yagaji jima watara
◯昔(番所の)臣下たちが勘定納に降りて伝馬船を出して屋我地島に渡ろう(とした)
語句・ばん 「番所」の「ばん」であろうか。・しんか「臣下。手下。農村では転じて家族の意にも用いる」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。仲間という意味にも使う。・てぃんま「伝馬。はしけ」【沖辞】。小舟の事で渡し船として使われていたもの。・やがじ 現在の名護市屋我地島の事。
二、うとうに響まりる平松ぬ下や 毎夜若者ぬ 遊びどぅくる
うとぅにとぅゆまりる ひらまちぬ しちゃや めーゆるわかむんぬ あしびどぅくる
’utu ni tuyumariru hiramachi nu shicha ya meeyuru wakamuN nu ’ashibi dukuru
◯有名な平松の下は毎晩若者が遊ぶ場所だ
語句・うとぅにとぅゆまりる 有名な。名声が世に鳴り響いているような。・ひらまち 「枝が低く平らに広がった松」【沖辞】。ふぃらまち、とも言う。我部平松が有名。
三、我部ぬみやらびぬ歌にうち惚りてい 羽地ばんしんか毎夜通て
がぶぬみやらびぬ うたに うちふりてぃ はにじばんしんか めーゆるかゆてぃ
gabu nu miyarabi nu ’uta ni `uchihuriti haniji baN shiNka meeyuru kayuti
◯我部の娘のウタに惚れて羽地の仲間は毎晩通って
語句・みやらび「農村の未婚の娘をいう」【沖辞】。
四、手拭やこーがき 舞や小んできてぃ がまく小ぬ美らさチンと見惣り
てぃーさじやこーがーき もーや ぐゎーん でぃきてぃ がまくぐゎーぬ ちゅらさ ちんとぅみぶり
tiisaji ya koogaaki mooyaa gwaaN dikiti gamaku gwaa nu churasa chiNtu miiburi
◯手ぬぐいは頰かむり 踊りは出来て腰つきの美しさに ちょうど見惚れて
語句・こーがーき 「ほおかむり。頭からほおにかけて手ぬぐいをかぶること。農民の習俗で、首里那覇では酒宴の席で、踊りの時にするものが多かった」【沖辞】。・がまくぐゎー「腰回りのくびれている部分」【沖辞】・ちんとぅ「ぴったり。きっちり。ちょうど」【沖辞】。
五、朝凪と夕凪屋我地漕じ渡てい 我部ぬ平松に思い残ち
あさどぅりとぅ ゆーどぅり やがじ くじわたてぃ がぶぬひらまちに うむいぬくち
’asaduri tu yuuduri yagaji kuji watati gabu nu hiramachi ni ’umui nukuchi
◯朝の凪と夕方の凪の時に屋我地島に漕いで渡って 我部の平松に思いを残して(別れて)
語句・あさどぅり 「凪」は「とぅり」。風が止んで船が出しやすい時間。
コメント
作者不明。
川田松夫氏が「西武門節」の歌詞を乗せた本歌が、この「ヨーテー節」だった。
伊江島民謡の「ましゅんく節」も「ヨーテー節」と呼ばれることがあるが別の曲である。
沖縄県北部の青年達と屋我地島の娘達と繰り広げられたモーアシビの様子が歌われている。
「はんてぃな」について
一番に出てくる「勘定納」(はんてぃな)は琉球王朝時代、間切番所が置かれた羽地で生産された米を薩摩に運び出す港のひとつがあった場所である。「仕上世米」と呼ばれた薩摩藩への上納は四津口(那覇・湖辺底・運天・勘手納)と呼ばれる港から大和船に積まれて行った。港には薩摩藩に上納する物資を保管する倉庫ー定物蔵が置かれた。
「勘定納」の名前は、そこで「上納物」を「勘定」し首里王府に報告していたことから付けられた名前だと言われている。明治期、戦前まで積み出し集積港として機能していたようだ。当然、港や倉庫には若い役人、人夫が集まる。その若者たちと対岸の屋我地島のむすたちとのモーアシビ の情景が歌いこまれているのが、このヨーテー節だ。
「勘定納」は首里那覇では「かんてぃな」と発音するが、今帰仁言葉では「k」が「h」となるためにkaNtina→haNtina
「はんてぃな」となる。
現在のはんてぃなと我部
位置関係をグーグルマップに書き込んでみた。
現在の仲尾から仲尾次あたりが「はんてぃな」と呼ばれていた。
我部の平松
「我部の平松」にヨーテー節の歌碑が立っている。車で行くと分かりにくいが、今帰仁から行けば我部公民館を過ぎて数十メートル東に行った所を北に入る。
(筆者撮影 2018年12月)
ヨーテー節の五番の歌詞が刻まれている歌碑。残念ながら後ろにあった松は折れていた。
近くには美しい松の木があった。中には赤く松枯れしたものも。
歌碑の周りは広い公園となっている。ここが昔モーアシビの場所だったのだろうか。
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