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Channel: たるーの島唄まじめな研究
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門たんかー

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門たんかー じょーたんかー jootaNkaa ◯門向かい 語句・じょー 普通は家の「門」。他に「広い道路」「馬場」などの意味があるが、ここでは家の門で良い。・たんかー 「真向かい。正面」(【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す) 作詞・作曲 知名定繁 一、門たんか美ら二才小やしがよ 七門八門越ちん縁ど選ぶ じょーたんかーちゅらにせーぐゎー やしがよ ななじょーやーじょーくちん いぃんどぅいらぶ jootaNkaa chura niishee gwaa yashiga yoo nanajoo yaajoo kuchiN yiN du 'irabu ◯門(の)正面(の)美しい青年だけど(私は)七門八門越えた(程遠くの)縁こそ選ぶ 語句・くちん<くしゅん。「越す。越える」【沖縄語辞典(国立国語研究所編)】(以下【沖辞】と略す)。くち(連用形)。越して。+ん。も。「越えても」の意味。・いぃん 縁。「yiN」「ゐん」と発音する。「'iN」(いん)という発音では「犬」となる。・いらぶ 選ぶ。<いらぶん。選ぶ。 二、からじ小に一惚り 目眉小に一惚り がまく小に一惚り ちんと三惚り からじぐゎーにちゅふり みーまゆぐゎーにちゅふり がまくぐゎーにちゅふり ちんとぅみーふり karajigwaa ni chu huri miimayugwaa ni chu huri gamakugwaa ni chiNtu mii huri ◯髪の美しい人にひと惚れ 目眉の整った人にひと惚れ 腰つきが良い人にひと惚れ ちょうど三人に惚れて 語句・ちんとぅ 「ぴったり。きっちり。ちょうど」【沖辞】。・からじぐぁー 「からじ」は「琉装の際の女性の正式の髪型」【琉球語辞典(半田一郎)】。「ぐぁー」は「くぁー」から。「小」は①小さいもの②愛称③強意④卑称化、などの用法があり、ここでは②の愛称と理解することもできる。直訳すれば「からじの人」だが、「からじの美しい人」とする。「みーぐぁー」と言えば「目の小さな人」と言いうと今帰仁で伺ったが、「みーまゆーぐぁー」は前後の関連から「目眉の美しい人」と訳す。「がまく」は「腰、ウエスト」だから「腰つきが良い人」くらいか。 三、サーびんた小やたらち まーかいめがウマニよ 赤野原ちゃん小やっち忍びが びんたぐゎーやたらち まーかいめーが 'うまにーよ 'あかぬばるちゃんぐゎー やっちーしぬびーが biNtagwaa ya tarachi maakaimee ga 'umanii yoo 'akanubaru chaNgwaa yacchii shinubiiga ◯耳の前に髪を垂らして どこにいくのですか奥さん 赤野原・喜屋武のにいさんに忍んで会いに 語句・びんた「鬢。耳の前に垂らした髪。また、顔のその部分」【沖辞】。・まーかいめーが どこに行くのですか?「まーかい」どこに?。+「めー」「行く」の敬語。+「が」疑問。・うまにー「兄嫁さん。または嫁に行ったねえさん。兄嫁・既婚の姉の総称。士族についていう。」「奥さん。既婚の士族の婦人の総称。」【沖辞】。ここでは「奥さん」にする。・やっちー にいさん。血縁関係がなくても使う。・が 「に。…するために。…しに。動詞の連用形に付く。」 四、我んね門に立てて チョンチョンと雨にぬだち あきて入りることならんばすい わんねじょーにたてぃてぃ ちょんちょんとぅあみにんだち あきてぃいりるくとーならんばすい waNnee joo ni tatiti chooNchooN tu ‘ami ni Ndachi ‘akiti ‘irirukutoo naraNbasui ◯私を門に立てて チョンチョンと雨に濡らせて 扉を開けて入ることはならないわけか 語句・んだち 「んでぃゆん」濡れる。「あしゅん」をつけると「〜させる」と使役になる。「濡らす」は「んだしゅん」となり、連用形で「んだち」となる。・くとー 「ことは」〜ならない、というふうに否定的な事柄を強調するときに使う。「くとぅ」+「や」→融合して。・ばすい 〜なるわけか。「ばす」は「訳」「理由」。文末の「い」は疑問の助詞。 五、サー太田ばんた毛遊び唄声小や 田佐原チル小 三味線小弾ちゅせ よがりうさ小 'うふたばんた もう'あしび'うたぐぅいぐゎーや たさばるちるぐわー さんしんぐゎーふぃちゅせー よーがり'うさぐわー 'uhutabaNta moo'achibi 'utagwii gwaa ya tasabaru thirugwaa saNshiNgwaa hwicusee yoogari'usagwaa ○太田バンタ(崖)での毛遊びの唄声は田佐原ツルちゃん 三線(を)弾くのは痩せたウサちゃん 語句・バンタ <はんた。崖や崖のふち。昔からモーアシビの場に使われることが多い。・ふぃちゅせー 弾くのは。<ふぃちゅん。弾く。+し。の。+や。は。「せー」は、この「し」と「や」が融合した形。 六、さー大田坂通て 為なたみアバ小よ 足駄鼻切らち 損どぅなたんで うふたびらかゆてぃ たみなたみ あばぐぁーよ あしじゃばな ちらち すんどぅなたんでぃ ‘uhutabira kayuti taminatami ‘abagwaa yoo ‘ashijabana chirachi suNdu nataNdi ◯大田坂を通って為になったか?姉さんよ 下駄の鼻緒が切れて損になったと 語句・うふたびら 具志川の大田にある坂の名前。坂は「ふぃら」。連濁で「びら」。・なたみ なったか? 「なる」の意味の「なゆん」nayuNの最後の「N」を「n」に変えて疑問の助詞「i」をつけたもの。・なたんでぃ なったと。なたん<なゆん。過去。+んでぃ。〜と。 七、からじ小てーげー小 目眉小んてーげー小 がまく小に我んね ちんと惚りて からじぐわーてーげーぐゎー みーまゆぐわーんてーげーぐゎー がまくぐゎーにわんねーちんとぅ ふりてぃ karaji gwaa teegeegwaa miimayugwaaN teegeegwaa gamakugwaa ni waNnee chiNtu huriti ◯髪が綺麗な人もまずまず 目眉の綺麗な人もまずまず(でも)腰くびれが魅力的な人に私はドンピシャ惚れて 語句・てーげーぐゎー 「大概」に対応したウチナーグチ。「大概。たいてい。おおよそ」「相当」【沖辞】というように、状況に応じて使い分けが効く言葉だ。思ったよりも状態が良くなくても、良くても使う。ここでは、しかし「まずまず」くらいにしておこう。 (コメント) 作者は知名定繁。知名定男の父。 出生地は具志川。幼少から三線を弾き、青年となって横浜や大阪へ。そして太平洋戦争中は筑豊で働き、戦後は兵庫県尼崎へ。そして沖縄に密航で戻り、民謡協会の設立や古典湛水流の研究なども手がけた。 この曲はナークニー系の毛遊びの唄で、知名定繁の生まれたシマ(里)のモーアシビの情景が歌いこまれているので「具志川小唄」という異名もある。 しかし、ナークニー系といっても琉歌形式のサンパチロク(8886文字)には厳密にはなっていない歌詞もある。 また「今帰仁ミャークニー」のように歌い出しが「サー」で始まり上ぎ吟(あぎじん)のような歌唱法もある。実に複雑な構造である。 上の歌詞は、七番を除いて、うるま市の知名定繁顕彰碑に掲示されている歌詞を取り上げた。 一番は、たとえイケメンであっても隣近所ではダメ、少し離れたご縁を選ぶ、と当時の女性の気持ちを表しているのだろうか。 二番、三番、飛んで五番は野外での芸能を交えた男女異性交流、すなわちモーアシビの情景が歌いこまれる。 四番は、女性の家に通ってきた男性が入れてもらえない恨み節。「通い婚」という婚姻が長く続いた沖縄ならではの情景。 六番は遠方のモーアシビに通った娘に何も得ることはなかっただろうと語りかける。 七番は二番との繋がり、対応を感じさせる歌詞だ。 若者たちのモーアシビや通い恋愛を軽く描いた歌詞ながらも、三線のテクも高く、歌い込みをしないと歌えない難曲の一つで、ウタ者たちは競ってこれを歌ったりもする。 知名定繁顕彰碑がうるま市の川田交差点にある。 非常に立派な歌碑であり、この方への多くの方の敬意の高さを物語る。 この「門たんかー」の歌詞も刻まれている。 ここに記された文章は以下の通りである。 「知名定繁の碑 「門たんかー」  「門たんかー」は、知名定繁作品百節を代表する節名である。  知名定繁は、大正5年、具志川村大田(現うるま市川田112番地)に生まれた。幼少にして歌三絃をよくし、仲喜洲尋常高等小学校高等科を卒業。20歳に関西へ。その間、琉球民謡の重鎮普久原朝喜と共に演奏活動をする傍ら創作に勤しんだ。昭和32年帰郷。  知名定繁は、琉球筝曲、殊に湛水流工工四編纂に深く関わり、その発刊の序文に、古典音楽家池宮喜輝師(明治19年~昭和42年)は、概要、次のように記している。  「昭和15年、湛水流師範中村孟順、古典音楽研究者世礼国男共著『声楽譜附工工四』の出現をみたが、今度更に中村孟順、箏研究家知名定繁両氏によって、湛水流筝曲工工四の上梓を見たことは、同流保存発展上、欣快に堪えない。中村・知名両氏は、筝曲工工四の原案が出来上がるや、その調閲を池宮喜輝、幸地亀千代両氏と演奏。最良と判断し発刊に至った。」  知名定繁氏の作品は、一般に「定繁ぶし」と言われ、弟子筋のみならず、愛好者の定本となっている。また、人をそらさない人柄、語るような歌唱は聞く人の心をとらえてはなさず、代表作「門たんかー」と共に、その名も永遠に人々の心に刻まれるであろう。平成5年7月24日没。享年77才。   平成17年7月17日   知名定繁歌碑建立期成会

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